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過去の院長の後悔日誌

平成16年3月22日病児保育推進の向かい風
 ひかり病児保育園を開設して4年目、意外と思われるかもしれないが、昨日初めて地元に向けて病児保育説明会を開催した。1か月以上前から市内外の保育園にポスターやパンフレットを配布して希望者を募ってはいたのだが、結局集まったのは一般ではたったひとり、後は公立保育園の保育士のみと何とも寂しい結果となった。悲しいことだが、これが病児保育の現実とも言える。プレゼンテーションが終わり施設の見学となった時、ある公立保育園の保育士が私にこんなことを言った。「説明を聞いて、良いのはわかるんだけど、なかなか勧められないのよね」と。つまりは、お金が掛かるとなると、いくら良いものでもおいそれと勧められない、ということらしい。ちょっとカチンと来た私は、「一人の保育にどれだけのコストが掛かっているか、どの程度の公的補助を受けて自分たちが給料をもらっているかなど、そういう意識がない保育士ほどそんなことを言う」と反論した。すると、その保育士は更に決定的な一言を言い放った。「勝山市というところは保守的だから、なかなかそんな話が出来る状況じゃないのよね」と。私の最も忌み嫌うフレーズだ。そういうのは保守的とは言わない。自分が悪者にはなりたくないから、面倒くさいから言いたくないとはっきり言え、と心の中で思った。全く、つくづく公立の保育士はぬるい。自分たちが言わなかったら誰が言うというのだろう。そんなぬるい職場だから、少子化の歯止めが利かない。賢い親なら、そんな保育士に子供を預けたくはないだろう。うちの保育士を見ろ、病児のいない日は病児保育の啓蒙のために市内の事業所回りをする健気さだ。そういう苦労など味わったこともない保育士に言わせておくのも大概にしなければ。前日、四谷県議会議員(病児保育について前向きに考えておられる)の県政報告会の席で石井福井県出納長とお話しした時にもそうおっしゃっておられたが、西川知事の思い入れもあり(ありがたいことに)、福井県は全国に先駆けて、都道府県自治体レベルで強力に病児保育を推進する初めての県となろうとしている。しかしながら、実際の保育現場の意識は他の地域よりもむしろ遅れていると言わざるを得ない。地元の保育士の意識を変えていくことは、やはり最重要課題の一つと感じる。そう、何を言われようと闘うしかない。
平成16年1月21日県政と病児保育
 西川知事が座ぶとん集会のために当園に来られた。知事は就任時に掲げたマニフェストの中で、「各市に一病児保育施設」の構想を任期内に実現することを挙げられた。未だ既存の病児保育施設への補助が不十分な現状で施設数を増やすことに異論はあるものの、今まで行政が(特に市の行政が)病児保育について全く不勉強であった状況が、今回一気に好転するきっかけを掴む(かもしれない)という意味では大きな進展であると喜んでいる。病児保育の現状を説明し、利用者の方々の意見が一通り出た後での知事の反応は正直掴み所のないものであったが、過密スケジュールで各地を回り疲れがピークに達している状況下で、当園での話し合いの内容がわずかでも脳裏に残っていただけることを期待するばかりだ。
 全国の病児保育施設の総数は当園が開園した当初(100ちょっと)の3倍の施設数(300近く)に達しようとしている。それだけニーズがあることの表れだと思われるが、現状行政の意識はそれに伴っているとは言い難い。今回知事にわかっていただきたかったのはその点で、言い換えれば病児保育に前向きに取り組む行政というものが病児保育施設に対し何を求め?何をしてくれるのか?ということである。何を求めているか?それはリスクの高い病児保育という事業が問題なく運営されることであり、そのために何をしてくれるのかというと、運営を滞りなく遂行するための予算を付けてくれるということだ。単純な理論だと思う。ちなみに四日市市や川崎市のように病児保育に前向きに取り組んでいる行政では、すでにこういったことを実行に移している。今回の集会に際しては、四日市市とその委託施設であるカンガルームさん(二宮剛美先生)には多大な協力をいただいた。おかげさまで、自治体が公共事業を委託する理想的な前例として、頂いたデータを元に具体的な数をもって示すことができた。果たして知事がどう判断されるか?...
 現在、病児保育事業は主に各市町村行政で管理されている(委託費は国、県、市が1/3ずつを負担)。私見であるが、しばしば広域対象となる病児保育の性質から考えて、本来病児保育事業は県政による管理が望ましく(一見時代に逆行するようだが)、施設設置についてもマニフェストにあるような市単位でなくエリアをニーズに合わせて設定し、ひとつひとつの施設に対して十分な投資をすべきであると思う。というのは、リスクの高い保育には管理にそれだけコストが掛かるというだけでなく、スタッフの教育に労力と時間を要するからである。少なくとも各市町村単位で病児保育に関してスタッフを教育できる人材がそう多くいるとは思えない。病児保育は保育と名前が付いていても、内容は決して集団保育の延長ではないので、最初からその特殊性を理解して事業を始めないと予期せぬ事態に陥らないとも限らない。そういった観点からも、施設数を絞り(もちろんニーズに合わせてと言う意味で)、一元的に管理した方が結果的には質の高いサービス提供ができるのではないかと思う。これは或いは医務薬務課が医療施設を管理する状況に似ているかもしれない。
 ここ最近の動きとして、敦賀市と武生市にそれぞれ病児保育施設の設置が検討されている。いずれもニーズの高い地域と思われ歓迎すべきことだが、新しい施設ほど既存の施設を超える質の高いサービス提供を目指して頑張って欲しいと思う。そのために当園も惜しみなく協力したい。そしてそれが病児保育事業の発展につがなると信じている。
平成15年12月31日一年を振り返って
 今年一年もかなり精神の擦り切れる一年だった。婦長が辞めて体制の立て直しから始まり、4月の医療費自己負担率増加による受診率低下、5月のレセコン-電子カルテ導入、リスクマネジメントの見直し、いろんな場に赴いての講演の機会の増加、11月の電子カルテ本稼働などなど。仕事を遂行する上での選択肢が多くなって頭を悩ませたり、外に出たりする機会が増えたのは、それだけ企業の経営が安定してきていることの現れなのだと思う。擦り切れ過ぎないように注意しなければ。
 当院のことではないが、今年秋には地元で医療業界全体の信頼性を損なうような事件が起きた。ある医療施設が不正診療報酬請求により医務薬務課から2億7,000万円の返戻、保険医取り消しの処分を受けたことは記憶に新しい。ただ不思議なことに地元の感心は希薄で結局世論の審判もなく、いつのまにかこの医療施設は名前を変更するだけで今までと変わりなく業務を再開していた。本来ならば、地元医師会への今回の不祥事の原因分析結果の開示、取引会社を含めての今後の経営計画等の説明責任があったと思う。しかしそれを果たさないばかりか、舌の根も乾かぬうちに療養型病床群の100床を超える増床を申請したことは、私を含めてさすがにほとんどの地元医師会員が嫌悪感を示した。名前のみの変更で実質管理体制の変わっていない医療施設、それが50床でさえ持て余して処分を受けたのに、それ以上の病床数の管理が可能とは思えない。容認すれば利用者である患者が一番の不利益を被り、医療不信をさらに煽る結果をもたらすことになる。少なくとも当院のような無床診療所にとっては安心して病診連携を組める体制を示されない限り患者の紹介もできるはずがないし、それどころか存在自体も容認できるものではない。ようやく地元医師会も重い腰を上げ、おそらくここ1か月以内には何らかの意思表示をすることになるだろう。一方、奇しくもこれまで地域の病診連携、診診連携について積極的な動きのなかった地元医師会の中に、その兆しが見え始めたのは皮肉なことだ。
 当院のことでは、何と言っても電子カルテの導入が印象深い。導入するまでは漠然としていた電子カルテのイメージも、方向性は今や完全に定まったとさえ言える。これを診療の道具として完全に使いこなすにはしばらくの時間が必要だが、現状、間違っても道具に振り回されるようなことになっていないことについて、スタッフに(日立の山口さんにも)感謝したい。当院の電子カルテシステムは小規模施設向けの日立MCのシステムでMedical-8/Doctorsと言うものだ。私は自分が使いこなすためにインターフェースにかなり手を加えており、これが担当の山口さんを悩ませている(ことは知っている)。下手するとサポートを打ち切られてしまうかもしれないリスクを冒しているが、その辺はメーカーさんも我慢して付き合って欲しいと思う(必ず得るものはあるから)。全国でこのシステムのユーザーは50前後いるらしいが、自分で言うのもおこがましいけれども、私はその中で一番真面目にこのシステムに向かい合っていると思っているしそうありたいと思う。このシステムを他のメーカーが追随できない優れたものにするために、日立の社員同様に考え情報提供していきたい。すなわち自動車メーカーにおけるテストドライバー的な役割を担いたい。私は今電子カルテを導入したからと言って、これで一仕事終わったとは考えていない。これからも、他のメーカーの電子カルテやORCAについても情報収集を行っていく。現在の私の最も大きな関心事は、電子カルテのデータベースとしての有用性で、残念ながら日立を始め、SRL、サンヨー、おそらくほとんどのメーカーは対応できていない。私はこれについては重要性を強調し情報を提供しているつもりだが、まだ理解されていないようだ。そもそも私は数年先の電子カルテ義務化に向け、練習のつもりでこのシステムを選んだ。だからといって仕方がないとは思いたくない。確かに、ゴルフの初心者も上達したらいいクラブを手に入れるだろう。だから使っていてスキルが上がり今の道具がもの足りなくなれば、高級な道具に乗り換えることもあるかもしれない。もっとも、ちょっといじれば、機能が上がるというのならば使い慣れた道具を使い続けたい。そのための努力は惜しまないつもりだ。
 12月は毎年暮れに向けてお年寄りが急変しやすい月でもある。特に今年は暖かい初冬から一気に冷え込んで雪が降ったために、お年寄りにとっては相当厳しい環境変化となったようだ。これまで元気で何の問題も無かったと思われるような人が、(言い方は悪いが)ばたばた倒れていく。この日記を付けている間も、正直、また何か起きるのではと気が気ではない。訪問診察患者を抱えているのだから致し方ないのであるが、なんとか無事冬を越えてもらいたいと祈っている。
 来年はどんな年になるのだろう... 
平成15年11月9日電子カルテ導入記
 9月過ぎから電子カルテを従来の紙のカルテと併用して運用することとなり、忙しい毎日が続いていた。そして11月とうとう紙のカルテを廃止し、電子カルテ一本で診療業務を開始、有り難いことに今のところ順調に事は進んでいる。そもそも電子カルテの導入を決定したのは昨年暮れのことで、古くなったレセプトコンピュータを替えるに当たり、電子カルテとの同時導入の方がコスト的に有利な条件がメーカーより提示されたこと、また6年先には厚生労働省主導に本格的に医療施設への電子カルテを始めとするIT化が義務化推進されることを予想してのことだ。現在、県内でも本格導入している医療施設が済生会病院ぐらいしかない状況で新しい分野に先鞭をつけることは、今後の医療情勢の変化に対応していく上で非常に大きな意味を持っている。特に当院のような小さな医療施設においては、電子カルテ導入をはじめとする設備投資による人件費の削減効果(人を減らすのではなく効率的に人を動かすという効果)は大病院より遙かに大きい。
 先日、当院と同じ電子カルテを同時期に導入したクリニックの話を噂に聞いた。電子カルテを導入したところ、診療時間がなんと3倍掛かるようになってしまった、というのだ。そのクリニックでは、医師が電子カルテの手書き入力機能を使って処方等を一旦書き込み、それを後で医療事務がテキスト入力し直しているということだ。手書き入力機能はペンの追従性の問題もありゆっくり書かないと認識されないばかりか、書いた字は絵としてしか認識されないので、処方内容をレセコンに取り込む際に、結局内容をもう一度テキストに起こす作業が余計に必要になってしまい、その分時間がかかる。本来なら医師がテキストをレセコンに連動した処方画面に直接打ち込むべきであり、そうしなければ診療時間の短縮は難しい。医師は患者の身体を触りながら、会話を進めながら、看護師に指示を出しながら、カルテを記録しなければならない。これまでは紙とペンさえあれば、ストレスなく事は済んでいた。しかし、記録の為にコンピュータを利用しなければならなくなった今、医師はまたひとつ、入力作業という大きな仕事を抱えることになった。少なくともこれまでと同等の効率で仕事をこなそうとする時、最低でも字を書くスピードでテキストを入力し、前述のような二度手間を掛けることは決してしてはならない。それを知らないで電子カルテを導入するにはあまりに危険すぎる。正に電子カルテは「諸刃の剣」ということが言えるだろう。当院では(というか私は)幸いなことに、テキスト入力もストレスなく行えており確実に診療時間に占めるカルテ入力時間は少なくなっている。ここで敢えて「診療時間が短くなっている」と言わないのは、カルテ入力に割いていた時間が短くなった分、診察に時間を掛けることができるようになったということで、結局合計の診療時間に大きな変化がないからだ(それでも少なくとも今までより長くなることはあり得ない)。
 電子カルテはまだまだ使える段階ではないのでもう少し導入の機会を待つべきだ、との意見は一般的である。しかし私に言わせれば、この考え方は勘違いも甚だしい。むしろ、医師の方が電子カルテという道具を使いこなす準備が整っていない、と言うべきだ。導入しない理由を電子カルテそのものに押し付けている限り、10年待とうが、100年待とうが機会は訪れないだろう。電子カルテの入力環境の進化を期待して、のんきに待ち続けるのは無意味なことだ。いくら進化したとしても、定型文入力でスピードを上げるにも限界はあり、また音声入力なども患者とのコミュニケーションに支障を来たす(機械にばかり話しかけてどうする?)。ましてや代記の職員を隣に置くほど愚かなことはない(そもそも仕事や人件費を減らすための電子カルテなのに、人を増やしてどうする?)。したがって電子カルテを使う前に、医師は最低でもキーボードのブラインドタッチは修得すべきだ。大病院ならばすべての医師がブラインドタッチできなければ、本当の意味での利益を享受できない(導入に際して徹底的にトレーニング、しかも施設全体で取り組む姿勢が必要だ)。医師もお膳立てを待たず使いこなす努力が必要である。
 電子カルテの開発陣にも言いたいことはある。医師が電子カルテの見た目(入力インターフェース)にばかり気を取られていることをいいことに、肝心の「いかにデータベースとして使いものになるか」ということが、棚に上げられている。紙のカルテでは当たり前のようにできていた、見たいカルテを積み上げて(検索、抽出して)、手に取っておもむろに開き、知りたい情報を確認すること(名前をクリックしカルテ情報にアクセスすること)ができないのはどういうことか。入力は人間が努力をすればスピードを上げられる。しかし蓄積したデータを見たい形で素早く提供するのはコンピュータの役目なのだから何とかして欲しい。今のままでは電子カルテは単なる日記帳に過ぎない。わかりにくいかもしれないので説明すると、例えば今月受診した患者の名簿を作ることはできても、その名簿の名前をクリックしてそれぞれの患者のカルテのウインドウを瞬時に開くことはできないのだ。それをする時は、まず名簿を作りそれをプリントアウトして、この名簿を見ながらそこに記載されている患者IDをいちいちカルテのウインドウのID入力カラムに入力し内容を確認するしかない。ある検索条件で抽出した患者名簿から直接電子カルテを開くことができないのは、電子カルテというデータベースとしては致命的なことと言わざるを得ない。少なくともレセプト確認作業が非常に困難となることは想像に難くない(紙のカルテを廃止した今月末、果たしてどうなるのだろうか?目下のところそれが一番の心配の種だ)。もっともそんなことに文句を付けるユーザー自体がいない状況で、開発陣もそのニーズの重要性に気付くはずもないのだが。ニーズを一刻も早く吸いあげ、データベースとしての完成度を高めてもらいたいものだ。
 「電子カルテ」、響きは何か最先端の技術のようで聞こえは良いが、まだまだこれからいろいろと問題は出てきそうだ。またその問題を解決する鍵は、医師が握っていると言ってもよいだろう。
平成15年6月29日医療業界の危機感
 医療情勢がどこへ向かっていくのかもわからないこのご時世(という認識を持っている人も少ないこのご時世)、日本医師会は若手医師が政治や医療改革にもっと関心を向け、弱体化した医療業界の政界に対する発言力を高めるべく、全国各地で勉強会を始めた。先日福井県内の会合(わずか12人!)に出かけたところ、県医師会長を始め、少なくともその場におられた先生方は将来に大きな危機感を抱いていることを知った。世話役の先生は危機感を持っている先生方が集まったことに感銘を受けておられたが、私も正直びっくりした。界隈を見回してもそんな話題で議論できる医者はいないと思っていたので、この場では私は正に水を得た魚、興奮してずっとドキドキしっぱなしだった。だからといって、これから政治活動をしようとか、そういう気持ちはないのだが、自分のためにそして生き残るためにこれからも勉強はしていきたいと考えている。
 このところMSさんやMRさんがひっきりなしにやって来て、「この薬を買え」だの、「あの薬を買え」だの、「まとめ買いしろ」、などと言ってくる。営業の人間に文句を言っても仕方がないし、薬品メーカー、問屋、それぞれ苦しい事情もわかるが、この時期そのツケを医療施設に回すという行為は、彼らの危機意識が希薄であることの現れではないだろうか?この4月から本当に医療施設は苦しくなってきている。そういう現状を彼らに説明してもピンと来る営業の人間は少ない。だから恥を忍んで、こういう事実を突きつけている。そこで初めて、「そうなんですかぁ...」ということになるのだが。危機感の薄い医療施設なら、頼まれて「少しぐらいなら」と薬の在庫を抱えるかも知れない。しかし、その先にあるのは大袈裟かも知れないが「経営危機」であり、そのきっかけを作ったメーカーも問屋もやがて共倒れとなる。結局、彼らの場合、口では「これからは厳しい」とは言ってはみるものの、本当のところ全く現実感がないのではないか?他人事なのだろうか?医療施設は当然のことながら、本来それを支えるはずのメーカーも、問屋も危機感を持って対策を練ってもらわなければ困る。「買え」「置け」ばかりでなく、他のセリフも聞きたいものだ。今は医療業界全体が業界の崩壊を食い止めるために、意識をまとめなければならない時期なのではないだろうか?
平成15年5月29日医療は軽く見られていないか?
 今朝、医療、介護費の個人負担額軽減と消費税の15%への引き上げについて政府が検討しているというニュースを見た。このニュース、医療関係者は深刻な問題として認識する必要がある。個人負担が減ることは、患者本位の医療という意味では歓迎すべきことであるが、そのしわ寄せをどこへ持って行くつもりか?また消費税15%で薬価差は、薬剤の仕入れはどうなるのか?
 小泉首相が三方両損政策と言い放った医療改革は、結局は二方両損でなおかつ悪者になったのは医療機関でしかなかった。今回も、医療費負担を軽くする、と国民にはいい顔をし医療機関に尻ぬぐいをさせるつもりなのか、その構図は見えている。
 薬価も下がる、診療行為に対する点数も下がる、それはダイレクトに医療費負担軽減につながることは事実だが、一時凌ぎにすぎない。単価(一人当たりの医療費)が下がれば診療報酬も減り、やっていけなくなる医療機関も出てくる。しかしそれを、経営努力で乗り切ろうとすると、出ないところから報酬を絞り出そうとするしか方法はない。すなわち、新規患者を開拓し(患者を取り合い)、それでも人数が確保できなければ一人当たりの検査を無駄に増やすしかなく、結果的には患者の負担は変わらない。逆に考えると、真に患者負担を減らすということは、政府的には医療機関の数を減らしてバランスを取る、という意識の表れなのだ。それによって悪徳医療機関が淘汰されるのは、まあ悪いことではない。しかしシナリオはそれだけに止まらない。
 消費税の15%へのアップ、これはもっと巧みな医療機関への嫌がらせだ。医療機関と薬剤は切っても切れない関係だが、薬剤は薬剤問屋から購入しその仕入れ値には消費税が乗る。消費税の定義は原則消費者負担であるから、本来なら薬を服用する患者負担となるはずだが、医療機関は薬価には消費税を乗せることができない。実際、仕入れ値は薬価より平均5〜10%安いので(薬価差)、消費税5%の現在なら単純計算で、薬剤の仕入れ、販売(処方)の対価を確保できる。しかし消費税15%となると、薬を右から左に動かすだけで医療機関は損失を被ることになる。処方料や調剤料に消費税が内包されるとの解釈はあるが、その評価(一回の処方につき一律510円)は正当とは言い難い。そうなると医療機関は薬を出さなくなるだろう。薬を扱えば扱うだけ損になるからだ。では院外処方箋を切るか?それもあり得ない。確かに院外処方箋なら医療機関は薬を触らずに済み、処方箋一枚当たり710円の報酬を得る意味でリスクはない。しかし院外の調剤薬局は果たしてその処方箋を受け取るだろうか?受け取れば処方しなければならない。処方すれば損をする。それをわかっていて薬局は処方などできるはずがない。結局、医療機関は空手形を打っただけのことになる。医療機関は院外処方箋という手も封じられているのだ。消費税が15%になれば、医者は風邪を引いて受診した患者に、診察した後でこう言うだろう。「じゃあ、このメモ通りに市販薬、くすり屋さんで買ってね、よろしく!」
 政府の医療機関への嫌がらせは、巡り巡って国民の健康不安につながっていくのだ。
平成15年5月20日命がけのリスクマネジメント
 昨日のエピソードには、ほとほと疲れた。声も出し続けたせいでハスキーボイスになってしまった。インデックスページのお知らせでも伝えた「SARS騒ぎ」だ。患者は香港で発熱してなぜか飛行場のゲートを無事くぐり抜け、一応大病院で「SARSについては白」との診断がなされてはいるが、それ以後むしろ発熱が持続しさらに再発傾向にあった。患者は診察室に入って初めて香港渡航歴と、発熱歴を明かし、一向に良くならないからここへ来たと言うのだ。確かに厚生労働省が示すSARSの診断基準からは外れていた。しかし得体の知れない病気に対して、都合のいい解釈(たぶん大丈夫だろうという期待的観測)で済ませていいものだろうか?もし、今居合わせた待合室の患者に感染が及んだら?テレビで見た台湾の封鎖病院の風景...一瞬、頭の中にすべての可能性が駆けめぐり、瞬時に判断するしかなかった。「外来閉めろ!」「みんな帰るな!」「帰った患者には連絡を!」...初診の病院(SARS対策外来)に再度連絡し再診の手配、とともに疑いの患者を診察室のベランダから外へ出し、全員、全身アルコール噴霧、手洗い、うがい、マスク着用、そして全館消毒。N95マスク越しに声を張り上げ、患者宅に電話をかけまくる。4時間後、紹介病院からの「疑いなし」の電話。スタッフからは拍手と安堵の声。
 実際、SARSの可能性は低かったと思う。わかってはいたが、あの時点で決断は必要だった。大山鳴動ネズミ一匹、今回は事なきを得た。しかし次回はどうか。その時の対応は?居合わせた患者へのケアは?10日間休診?全く身の毛がよだつ。つくづく、患者側のモラルを声を大にして叫びたいエピソードだった。
平成15年4月17日新年度の課題
 新生深慈会も3年目の春を迎えた。慣れというものはしばしば目的意識を曖昧にしてしまう。余裕無く忙しく走り回っている時の方が、むしろ気配りも行き届き仕事の効率も上がる。丸2年経ってようやく普通の施設並の仕事ができるようになったと思うのだが、そこで満足してしまえば進歩は止まる、どころか積み重ねた努力は水の泡に帰すことになりかねない。
 折しもこの4月でレセプトコンピュータのリース期限が終わり、次の機種選定の検討を行っていたのであるが、関係各社の協力もありレセコンリニューアルとともに電子カルテの導入を決定した。全国の医療機関における電子カルテ導入の現状を調べてみると、決して明るいものはない。導入したものの、操作に慣れることができず、かえって効率が落ちてしまうので結局使わなくなってしまった、など。また多くの意見として、電子カルテはまだ機能が不十分で使えるものがないので、今は「待ち」の時期だ、とも聞く。
 今回私が導入に踏み切ったのは、5年後6年後を見通しての決断だ。この先レセプトの電子請求は当たり前になり、日本医師会の提唱するORCAも軌道に乗ることになるだろう。現状ORCAの電子カルテは一般企業のそれ以下で全く使い物にならないが、今後ある程度使えるものとなり、厚生労働省主導に導入が義務化された時、これまで電子カルテというものを触ったことがない施設が果たしてすぐに対応できるものだろうか?
 その時になって慌てないために、今のうちに施設全体が電子カルテを含むIT化に順応していかなければならない。つまりはORCAへの布石だ。その意味で今回の導入は、即戦力増強というよりは投資のひとつであり、また避けて通ることのできない道だと私は考えている。
 そしてもう一つの大きな理由は、目的意識の明確化である。仕事の慣れを一掃し、絶えず目の前の困難に向かっていく気持ちこそが、企業を成長させる。電子カルテ化は、今期私たちに科せられた課題であり、方向性を明確にするアイテムと言える。導入したら後へ引くことは許されない。
 私たちはこの2年間に積み重ねた努力を無駄にしないために、これからも先を見続けて行きたいと思う。
平成15年3月6日3割負担の意味
 4月の医療制度改革が迫っている。世間を賑わせているサラリーマンの3割負担だ。医師会は3割負担に反対している。医師会は必ずしもサラリーマンの味方ではなく、自己の利益のために反対の立場を取っているだけだとも揶揄されるが、医師会が反対する理由は極めて正論だ。(正論を受け入れない、頭の固い政治家が多いのは嘆かわしいことだ。また、母ちゃんが言うから反対、という政治家も笑わせるが。)厳しい診療報酬引き下げで保険財源は十分確保されている現実があり財源が逼迫しているというのは今や過去の話で、それが3割負担の理由にはなりえないということ、また受診控えが疾病の早期発見を妨げ、治療が長期化し結果的に医療費の増大を招く、ということだ。医者が儲けすぎだから負担額を増やすのは反対といういささか軽薄な意見もある。2割負担が3割負担になり、差額の1割がそのまま医療施設の儲けになるという誤解は論外だが、確かに同業者から見てもいったいどんなあくどいことしたら、あんな貴族みたいな生活ができるのか聞きたい、なんて医者もいることはいる。しかしそういう言い方はひがみであって、自分の甲斐性の無さを棚に上げているだけだ。大きな経営基盤の元で9to5の勤務でやっていける一部の雇われ医を除いて、ほとんどの医者は医療経営に何の保証もないまま暗中模索で診療を続けている。儲けている医者がいるとすれば、それは営業努力があるから、経営戦略が功を奏したからであって、不景気でもやり方次第では増収につながるという実例を手本に、むしろ自身を粛正すべきだろう。
 私も3割負担については原則反対であるが、しかしながらやむを得ない部分はあると思っている。それは財源云々ということは抜きにしての話なのだが、日本人は恵まれすぎる余り、医療サービスがいかにお金のかかるものかということを忘れており、今回の改革がそれを認識する良い機会であると思われるからだ。どんな場合でもそうだが、コスト意識のないところに節約の概念を持ち込むことは不可能だ。日本がこれから必ずやってくる(もう来ている)高齢化社会にどう対応するかは、日本人すべてが医療、福祉を深く理解することから始めなければならない。こんなにお金がかかっている!、ということがわかって初めて、それではどう節約しようか?という論争ができる。コスト意識のないものが、不公平だの誰が儲けてるだの言っても、全く説得力がない。だから今回の理不尽な3割負担を真摯に受け止め、そのうえで医療サービスを上手に受けてもらいたいと、私、医療者の立場からは強く思う。もちろん安易な政府の医療政策決定には腹立たしく思う部分大ではあるのだが。
平成15年2月19日管理、管理
 ここのところ、〜管理という言葉がやたら目に付く。
 園長は先週2日間をつぶして、ガス滅菌の管理者の資格を取りにいった。2日間講義漬けでトドメにテストがあったらしい(おかげさまで今日資格証が届きました)。有毒ガス(エチレンオキサイド:特に当院では再生器材の滅菌に利用している)の取り扱いは慎重を要するものであるが、恥ずかしながらこれまで安全性を誇示するに十分な設備とは言い難かった。結局今後は、ガスの取り扱いを取りやめ、すべて器材はディスポーザルとすることに決めた。
 今朝のテレビのニュースで、新宿雑居ビルの火災について、防火管理責任者が逮捕されたとの報道があった。逮捕前に担当者のインタビューが取れていて、「自分は何もしていないのに責任を追及されて心外」とのコメントがあった。深慈会も4階建てのビルであり、3階にはテナントもあるし、4階には保育園もある。もちろん防火管理には十分気をつけているが、管理は「しないだけで罪になる」のは時代の流れか。今後も厳しく管理していくことに努めたい。どんな時でも少なくとも、「何もしていない」などと馬鹿なコメントをしなくてもいいように。
 他の病院に紹介した患者様からクレームをいただいた。といっても当院に対するクレームではなく、紹介先の病院へのクレームである。入院して手術を受けたのだが、病室での看護師からの扱いがあまりに酷いというものだ。箇条書きすると、@応対が冷たく、心がない、A仕事の出し惜しみをしている、B忙しそうにしていて、お願い事があっても悪くて声も掛けられない、C無視される、D仕事が雑で素人がやってもできそう、E何かするにしても説明がなく唐突で、戸惑い、終いには怒りがこみあげる...といったものだ。
このことは、患者様のご家族が当院に受診された時に様子がどことなくおかしいため、重い口をこじ開けて聞き出したことなのだが、誰にも打ち明けることができず、かなり精神的にストレスがかかっているようだった。私としては、このことを聞いて、これからどうしようかと考えた。その病院のスタッフで話のわかる人がいれば、そっと伝えるも良しと思うが、その前にこの事実をうちのスタッフ全員に伝えることにした。正直言って、この話は昔の深谷病院のことを言われているようで、身につまされる思いがしたのだ。そして土曜日の業務終了後スタッフ全員で、「この貴重な意見を生かし仕事をしていくこと」を確認しあった。患者様からのクレームに真摯に、そして正確に対処できることにつながり、さらに一歩進んだところで、クレームを生まない仕事ができることを期待したい。これも危機管理、すなわちリスクマネジメントであろう。 
 実際ここ数か月、深慈会でも本腰を入れてリスクマネジメントに取り組んでいる。相変わらず減らない単純ミス、患者様からの指摘もあり、また将来のISO9001取得も念頭に置いて、各種書類の作成を進行中である。もちろん、書類ができればミスはなくなるのかというとそうではないことはわかっているが、スタッフの誰もが頭の中を整理し、どんなことにも冷静に正確に対処できるようになり、そして意識を共有していくためには非常に役に立つ管理ツールになる。あれも管理、これも管理、すべては管理の上、事を進めなければ。同時にこれは、目に見えない「思いやりの医療」を、今度は目に見える形で残していく作業とも言える。そうやって、深慈会は成長し続けなければならない。
平成14年12月11日ノルマ果たしほっと一息
 12月7、8日と全国病児保育協議会研修会が開かれ、私と園長、二人の保育士が参加した。今回の研修会は参加者がぐんと増えて、まるでどこかの学会の総会の如く盛況だった。登録施設も240弱、未登録施設を加えると300施設ぐらいにはなると言うことで、それだけ世間の病児保育に対するニーズも高まり、認識も変化してきたということだろうか。周知の通りこの2年間いろいろなことがあったので、私もしばらく参加できずにいた。久しぶりに参加してみると、皆さん相変わらず精力的に活動されており、それを肌で感じるだけでも元気をもらった気分になった。今回初めて参加した保育士も、参加者の情熱に感銘を受けたようで、その気持ちを忘れずに今後の仕事の励みとしてほしいと思う。また今回参加の4人だけで分かち合うのではなく、全職員にその感動を伝えなければ。そうやって絆を強くしていきたいと思う。
 今回の研修会は過去と違って、当園もいろんな意味でステップアップ出来たのではないかと思っている。初日には厨房の衛生管理についての発表(園長)ができたし、2日目にはリスクマネジメントについて意見の交換もできた。転ばぬ先の杖、損害保険加入についても声を大にしてその必要性を提案できた(東京海上火災さん、損保ジャパンさん、情報提供ありがとうございました;以上業務連絡)。私たちはこの事業を続ける限りは、万全を期したいし絶えず精進したいと願っている。他の施設の手本になれるように運営していくことで、私たち自身をいつも緊張感の中に置いて、事故防止に努め、利用者の便宜を図りたい。
 それにしても、過去いろいろな学会に出席して発表したが、今回の研修会ほど準備に体力を使ったことはなかった。年をとったということもあるのかもしれないが、実質2週間で3つの発表原稿(厨房衛生管理、園内感染防止対策、損害補償関連)をまとめるのは、正直かなり消耗した。21時の業務終了から準備に取りかかるが、私の性分で切羽詰まらないと仕事も乗らず、残り1週間切ったところからようやくエンジンが掛かり、情報収集に保険会社に電話したり、営業の方にお会いしたり...インターネットで検索しまくり(いい時代になった、これがなかったら死んでた)、なんとか発表に漕ぎ着けたといったところ。いつも後悔するのだが、後悔先に立たず(後悔日誌先に書けず)、いつまでたっても同じ轍を踏む、我ながら懲りない奴と呆れている。
平成14年11月27日雪降って地固まる
 異変。例年よりもずいぶん早い積雪。朝起きると、窓から視界に入る屋根に積もった雪がなんとも眩しい。そして、婦長が辞めた。あろうことか他施設の面接を受けていたのだ。一緒に面接を受けたパートの看護婦が他の職員にそのことを話したことが、発覚のきっかけとなった。施設の長としては、いくら自分の片腕となる人間のこととは言え、この事実を無視することはできない。いや責任ある立場の人間だけに、穏便に済ますことは不可能だ。彼女を強く戒め進退を問うことになり、その結果辞職となった。何が彼女を愚行に走らせたのか真相はわからずじまいだが、職務の重責が彼女を押しつぶしたと言えば聞こえはよい。しかし一方では、看護婦間の不協和音の原因が彼女にあったとの指摘もある。複数の職員の証言は、彼女の対人関係における二面性を示唆する。また、私や園長に対して中傷的発言があったことも耳にした。看護士としての技量もあり、法人立て直しの中心的存在とも言える彼女が、法人を足蹴にするような愚かな行為をすること自体信じがたいが、もはや事実であることは明らかだ。あるいは私や園長は、彼女の表向きの顔を見ていただけなのかもしれない。複雑な心境ととても寂しい気持ちに浸りながら、この日誌をつけている。つくづく自分の力不足と、人を動かすことの難しさを身にしみて感じる。
 残った職員が集まって、これからのことを話し合った。今回の事件は、良くも悪くも大きな衝撃を与えられたことに間違いはない。奇しくも、「雪降って地固まる」、となったのか皆は思った以上に前向きで、「周りから『それ見たことか』などとは言わせない」、という心意気がひしひしと伝わってきたのがせめてもの救いだ。
 
平成14年10月23日経営品質
 ようやく新しい保育士も決まり、と同時に風邪の季節に突入、連日病児さんの利用が始まり間一髪セーフと言った感じで、ひかりの方もなんとか順調に仕事が回り始めた。従来より孤軍奮闘でがんばってくれていた保育士(笠松)には新入保育士の指導を任せきりだが、彼女には数々のプレッシャーに屈することなくがんばってほしいと思っている。しかし私の期待以上に動いてくれる彼女を見て、感謝するとともに病児保育の今後がとても楽しみになってきた。彼女の編集するひかりのHPを見るのも楽しみだ。
 園長と事務課長が先日福井へ会合に出かけ、ISO9001の話を聞いてきた。その話を又聞きしたのだが、そろそろ当院も考えていく必要があると実感している。というのも、数日前ちょっとした問題が発覚したことも関連しているのだが。
 夜間の外来は当初より私と看護師の二人体制で診療を続けている。先日前額部に傷を負ったお子さんがお母さんに連れられて受診の際、あわただしい中で申し送りが悪くご迷惑をおかけした。そして結局憤慨されてお帰りになった。緊急会議を当日夜、翌日昼と二回にわたり招集、患者様に対するお詫び、またその際に今回起きた問題分析と対策(システム改善)についてのレポートをお渡しし、何とかご納得いただいた。なんとも情けない話だが、二度と繰り返さないように皆で話し合い、意識付けできたことが大きな収穫となったことも事実だ。 
平成14年9月24日病児保育士いない?
 ひかりの保育士が出産準備のため退職した。順調に仕事も進んでいただけに惜しまれるが、身体第一なので仕方ない。ただ突然だったので、対策なく現在も雇用を募っている。奥越前の保育士の就職状況はかなり厳しいと聞く。臨時でも就職先が見つかればいいほうで、それも過疎、保育園の統合などのあおりで1年後には解雇などという話はよくあることらしい。保育士に関しては言わば、買い手市場かもしれない。そんな中で、当園がパートでなく敢えて正職員を求める理由は、病児保育に対してそれほどの思い入れがあるからだ。パートがいい加減な仕事をするということではないが、病児保育は他の職場に比べてストレスの大きい職場であると思うし、それに対して正当な評価が為されて当然だと思う。ただ評価に見合う仕事をしてもらうことは、当然のことだ。現在も、就職希望の保育士が面接に訪れるが、話を聞く限り今のところ病児保育士としてやっていけそうな人材は見つかっていない。いや、最初からできるとは思っていないが資質という面で納得のいく人材がいない、というのが正確な表現か。
 特に私が重要視する病児保育士の資質は、協調性と創造性だ。孤立しやすい病児保育士ほど協調性を求められる職業はない。そして看護保育という新しい分野を切り開いていく創造力が必要だ。しかしこれから面接に訪れる保育士の中にそのような人材がいるのかどうか、現れるまでずっと待つわけもいかないが、少しでも病児保育の質を高めるために努力したいと思う。
 ところで少し前の話になるのだが、病児保育のメーリングリストというのがあって、ここでこれから新しく病児保育施設を設立しようとする新規事業参入者に対して、既設事業者からノウハウがアドバイスされていた。全国各地で病児保育施設建設の気運は高まっているものの、施設基準というものが定まっていないために、各自治体での取り扱いに随分差があることはわかる。しかし自治体とのやりとりに長けた既設事業者が、自治体の監査をくぐり抜けるために質の低下を承知の上で新規事業参入者に「抜け道」を教えるのはいかがなものか。病児保育には金がかかるが、そんなことは承知の上での参入である。質を下げてまでする事業ではない。新設の病児保育施設は、あらゆる面で既設の病児保育施設のレベルを越えて欲しい。当たり前のことだが、そうしないと新しい施設ほどレベルの低いものになってしまう。そんな病児保育施設にいったいどんな親が子供を預けるというのか。そんな病児保育に未来があるのか。
平成14年9月8日これからの地域医療
 昨日、これまでも患者を紹介したことのある、地元のある病院の事務長さんと食事会を持つ機会を得た。
 このところ医療業界は、薬価改正、医療法改正、健康保険の自己負担増など景気の悪い材料ばかりであまり元気がない。さすがに奥越前の田舎でも、その波は押し寄せてきている。当院も4月からの減収はもはや深刻な状況(200〜300万円の減収)で、何らかの打開策を考えていく必要がある。もちろんこれまでも、院内での方策としてはサービスの向上に努めることを始め、薬剤をジェネリック優先にしたり、取れる点数を見落としのないよう確実に取ると言うことを励行してきた。
 しかし、今後これらのことが必ずしも患者のニーズに合致すると言えない部分も出てくることが考えられる。例えば当院の訪問診察であるが、在総診を効率よく取るために地域を近隣に限定し患者数を増やすということが方策としてはある。しかし、これをそのまま遂行すると遠距離の患者はどうなるか?以前も述べたように遠距離ほどニーズが高いのに、それを無視して保身の為に患者を切り捨てるといったことになっては、「地域に根ざした医療」などと偉そうなことは言えない。
 そこで必要なのが、訪問診察におけるパートナーとしての医療施設だ。できれば当院同様、在総診が認められる診療所の方が都合が良い。こちらが遠いと感じる患者もパートナーからなら近いということもあり得る。ならばその患者はパートナーに紹介し、そちらで面倒を見てもらう。逆にパートナーから遠い患者も、当院からは近いということもあるだろう。その場合は当院が面倒を見る。というような感じで、お互い在総診と24時間連携体制加算が取れる。そして何より訪問の効率化から、訪問患者の人数を増やせるということが大きい。そして結果として、地域と医療施設、両方のニーズを満たすことができるのだ。
 私がどうしてこちらの病院の事務長さんとどうしてもお話をしたかったか?これは正直に事務長さんにもお話ししたことだが、まず第一にこちらの事務長さんが「今後の医療情勢に大きな危機感を抱いている」という噂をMSさんから小耳に挟んだということ(つまり同じ悩みを抱える同志でないと話をしても意味がない)、第二にこちらが中規模病院であり、今後病床数を増やすか減らすかの決断に迫られていること、第三にこちらの院長先生のご家族に後継者が存在すること、第四に当院との距離が離れて立地していること、第五にこちらの病院には当院と同じく、福井医大第一外科の医師が非常勤医師として勤務していること、など当院のニーズに合致する要素が多くかつ、こちらの病院にとっても当院の持つ知識が今後の経営に役立つ可能性が高く、お互いに利益を無理なく共有できると思われたからだ。
 こちらの病院がこの先増床して大規模療養型の道を歩むのか、それとも当院のようにダウンサイズして訪問診療も手がけるクリニックになるのかはわかならいが、どちらの方向に進んでも当院がパートナーシップを組むに十分な理由がある。病院としてさらに増床する場合、看護師だけでなく医師も必要となるが、家族である後継者がその枠を埋めることにより、軌道に乗るまで医師の人件費を節約できる強みがあり、その分経営危機に強く、安心して当院の訪問診察患者の入院療養先としてお願いできる。また診療所となる場合は、先に述べたように訪問地域の分担によって診察の効率を高めることが可能だ。いずれにせよ最終的にそれが地域の患者の利益につながらなければならず、そのために私たちは生き残らなければならない、ということだ。
 奥越前では、この先の医療情勢に対して真に危機感を持っている開業の先生は少ない。漠然と危機感を持っているのかもしれないが、方向性が違っているような気がする。この地区はかつて当院が病床を捨てたため、その分の病床が余っている(約40床)。つまり病床をこれから増やそうと思う病院があるならば、それが可能だということだ。先日聞いた噂だが、この病床数を巡って複数の病院、診療所がそれぞれの増床のための談合に入っているということだ。わずか40床を分割してそれぞれの施設が増床するらしい。しかし50床前後の中規模病院や診療所がわずかに病床を増やしたところで、その先どうするつもりだろうか。老人比率が上がり、人口が減りつつあるこの地域でこれからの病床のニーズは明らかに療養型だろう。しかし当院の経験上6:1の看護で無理なく当直体制を組むなら、看護師ひとりにつき1週間に一度の当直として病床数を逆算すると6×9(1週間は7日=7人で休みの出ることも考えて9人)=54床が最低ラインで、それ以下はサービスの低下や人員の効率化を考えると療養型の運営はあり得ない。仮にこのライン以上に増床できても、この先施設基準が厳しくなると、今の病室の流用は広さの点から(おそらく6.4平米→8平米→12平米と一人当たりの要求面積は広くなるだろう)不可能となり、大幅な工事をしない限りいずれ最低ラインを割ることも考えられる。せっかく増床しても、広さの制約から減床せざるを得なくなるのだ。もし病院を続けるなら、あるいは診療所がアップサイズして病院としてやっていくつもりなら、病床にそれ以上の余裕を持って、なおかつ最初から施設基準の改定を見越した設計で新設すべきだろう。それができず付け焼き刃でこの場を切り抜けようとするなら、当院が辿ったように改装を繰り返すうちに設備投資の余裕がなくなって、結局ダウンサイズを余儀なくされるのがオチだ。もしそれが原因で倒産でもしようものなら、その施設にとって不利益であるばかりでなく、その地域の患者が一番の不利益を被ることになる。
 この先医療施設が生き残るために考えなければならないことは、もっと先を見ること、ひとつの施設だけで患者を診ようとせず、地域全体で支えていくシステムを構築することだ(他の地域ではもはや当たり前のことか...)。そして少なくとも、当院の捨てた40床を細かく刻んで取り合う以前にしなければならないことがある。それは、今病床を持っている施設で設備投資に対して余裕と気力があるところなら、そうでない施設から病床を一手に譲り受け大規模療養型として特化すること、また病床を捨てた施設は外来もしくは訪問診療に特化し、大規模療養型との連携を目指すこと、の決断することではないだろうか。今のままでは、結局共倒れになるような気がするのだが。
 今後今回お話しする機会を得た事務長さん、またいずれはこちらの病院の院長先生ともお話を続けていくことになるだろうが、私利を追求するあまり共倒れしてしまうことのないよう、また最終的には地域患者の利益を守ることを優先し、正しい選択をしていかなければならないと考えている。
平成14年7月23日慢心
 
今日は本当の意味での後悔日誌をつける。
今、訪問診察サービスを利用されているFさんにまつわる話だ。Fさんは痴呆症状の悪化、食欲低下から始まり連日の気温上昇も影響しての脱水症状で、目に見えて衰弱が進行してきている。通常ならば、点滴加療目的に入院を勧めるところであるが、ご家族の希望はあくまで在宅診療のため、現在に至っている。息子さんは仕事が忙しく、Fさんの面倒を見るのはそのために仕事を辞めた奥さんで、ここ数日は私たちの指導の下、なんとか経口摂取をさせようとがんばっては来たものの、そろそろ限界に近い。昨日私は奥さんに、これからの加療について三つの可能性を示唆した。@在宅での点滴加療、A在宅での経鼻栄養、B入院加療、ということだ。しかしどれも今抱える問題、ニーズを、解決あるいは満たすものではない。@もAも痴呆老人に施すには家族(特に奥さん)の負担が大きすぎる(目を離した隙にルートやチューブを抜去されてしまう可能性が高い)し、Bに至っては本来のニーズと異なる(家族は仕事や家庭の事情から付き添いが全く不可能で、そのために在宅診療を選択した経緯がある)。しかし目の前にある問題を兎に角は解決することが先決で、意見を聞くまでもなく通常の点滴(IVH:中心静脈栄養、ではない点滴)を開始した。昨日はFさんもさすがに消耗が激しいためか針を刺しても眠ったままで、自己抜去してしまう気配は感じられなかった。
 その夜、婦長との話の中で、明日以降の点滴をどうするかとの話題になったが、結局やるなら2本(1,000ml)ぐらいはやりたいということ、またその間奥さんがずっと管理することが困難と思われるので、明朝当院に連れてきてもらってこちらで管理し、終わったら迎えに来てもらう方がいいかもしれない、という話になりその旨を電話で伝えたのだった。しかしその時の息子さんの反応は、「仕事で忙しいから連れて行くことは出来ない。妻も理由があり外には出られない。なんとか家で点滴をしてくれ。何か起きた時は、先生がすぐに来てくれ。」というものだった。
 Fさんの息子さんの頑なな態度から脳裏によぎったのは、5/15の日誌で紹介したBさんのケースだ。家族の協力が得られないならば、訪問診察、看護することにどれほどの意味があるのだろう。対象患者が50人を越そうという訪問診察サービスの現状では、経営上もそのようなケースは淘汰せざるを得ない。私たちは少数のスタッフで、なんとか時間を絞り出して、極力訪問して患者の利益のために尽くしたいと考えているが、あまりに自分本位に要求ばかりを言われても現場で温度差が生じてしまい、長くサービスを続けていくことが不可能になる。私たちが訪問診察サービスを受けるときに必ず確認するのは、家庭介護の意志であり、その意志に応える形で、介護の主体を家族に置いてサービスを提供することが私たちのやり方だ。
 電話でやりとりをしているうちに、私はFさんとBさんが完全にオーバーラップしてしまい、少々エキサイトして息子さんについ強い口調で、「むろん点滴には行くが、Fさんだけのために終始時間を費やすことは不可能だ。何かあったとしても、そのつもりで覚悟をしてほしい。」と言い放ってしまったのだ。電話を切った後は気分が悪くて仕方がなかった。
 最初、私の怒りは確かに息子さんの態度に対して向けられていたはずであったが、そのうちにその怒りが自分自身に向けられていくのを感じた。
 −私は息子さんに一体何を言ったのか?まだ何も始まっていないのに決めつけで判断しているのではないか?自分たちの事情を笠に着た、サービス側本意の医療なのではないか?都合の良い介護医療の押し売りか?コスト意識ばかりが先行して愛を忘れていないか?訪問診察サービスが深慈会の独壇場であるのをいいことに、患者の足下を見ているのではないか?深慈会の目指す在宅医療とはこんなものなのか?患者の、そして家族のニーズに応える在宅医療であるべきではないのか?−
 いろいろなことが頭の中を駆けめぐり、私は懺悔せざるを得ない状況に追い込まれていた。すべては私の慢心が引き起こした過ちだ。調子に乗っていた。慣れすぎていた。考えた。もし他の医療施設が訪問診療を始めたら、私たちは選ばれるだろうか?人がいないから、外来が忙しいから対応できません、で済まされる話だろうか?そこを何とかして、やるだけのことはやってみて、結論はそれからなのではないだろうか?なのになぜあの時あんな電話の対応をしたのか...
 今日私は、Fさんを訪問し家族に対し、昨日の電話対応について全面謝罪したことは言うまでもない。やれるだけのことを精一杯やらなければならない。思いやりを忘れてはならないのだ。
平成14年6月22日奥越前の将来...
 
夜、元禄地区(当院の近所界隈の通称)の中学生の親の集まりがあって出かけた。土曜日の夜で休診なので、久しぶりに地域の集会に出席することができたのだ(地域医療を進めると言いながら、全然、地域の集まりに顔を出していないのが辛い)。そこで出ていたのは、奥越前の少子化に伴い学校を統合すべきか否か、高校受験の学区制を廃止することが奥越前の教育レベルの低下につながらないかどうか、子供のモラルの低下(常識や礼儀を知らない)をどう改善するか、小中学校の週休2日を子供たちにどう過ごさせるか、といった話題だった。同席していた教師は、どうしたら子供たちが有意義に校外の時間を利用して勉強できるようにするかとか、普段から地道に親がモラルを教えていくことの重要性などを説いていたが、聞いているうちにバカバカしくなってしまった。そんなことが本当に子供の質、奥越前の質を向上させることにつがなるのだろうか?
 はっきり言って、勉強もスポーツも本人がする気にならなければいくらお膳立てしても身に付かないし(大人なら経験上誰でもわかることだ)、モラルも説明されて理解できるものではない(モラルというものは、言い換えれば社会の「ルール」なのだから、社会に実際に出てその「ルール」を破り叩かれ痛い目にあった上で、初めて理解できるようになる)。
 今教師が説いていることは茶番だ。皆が一つの目的に向かって突っ走っていた高度成長時代ならともかく、楽して座っていても何でも手に入る高度情報化社会の中では、そんな綺麗事は空しく響くだけだ。子供たちには、ゲームやマンガのようなバーチャル空間の中で、馬鹿でも運痴でもモラルがなくても、何とか楽に生きていけるだろうというような甘い幻想がある。確かに、極めて要領の良い少数の人間にとってはそれは幻想だとは言い切れないし夢を持つことも悪いことではないが、多くが現実離れしてその幻想を真に受けているところに今の子供たちの問題がある。
 去年当院で雇用した大卒の新人はまさにその典型だった。そこそこ勉強し大学を卒業したのだろうが、勤務中も緊張感がなく、仕事の意味(意義)も理解できず、最後まで使い物にならなかった。なぜか?ところてん式に大人になってしまった彼には、TVゲームのように華やかな反面、痛みや苦しみを伴う現実の社会が理解できなかったのだ。結局のところ、今の子供たちについて何を話し合わなければならないかというと、それは勉強のことでもスポーツのことでもモラル教育についてでもなく、「社会の構造を正しく理解させる」ために何をすべきかということだ。大人になって一番困るのは、社会に順応できないことなのだ。
 そんな子供が増えつつある中で、降って湧いたような週休2日制(いい機会が与えられた、ということを言いたい)。土曜日は、勉強もスポーツも偉い先生の道徳講義の出席も必要ない。皆、職場体験に町へ繰り出すのだ。今までは1年に一度だけ職場体験の期間がわずかにあったが、これからは毎週町総出で協力すれば良い。そうすれば、子供は社会の中で悶え苦しむ大人を見て厳しさを学び、社会に出るための心構えが自然と身に付く。何のために、勉強するか、何のための常識なのかが理解できるようになるだろう。一方仕事ぶりを子供に披露する私たち大人は、子供の手本となるべく一生懸命働き、それが地元の文化産業の発展向上につながるはずだ。
 私はこのまま廃れていく奥越前を見たくない。次世代を担う子供たちの指導者たる教師が学力向上や体裁に囚われるばかりで、社会に順応できない大人を作り上げようとしていることに憤りを感じている。
平成14年6月20日訪問診察の今後
 
訪問診察の患者が50人の大台に乗り、システムの見直しが必要となっている。決められた時間の中で効率よく訪問をこなすには、住所録を見据えながらパズルのような患者の組み合わせをしていく必要がある。このサービスを受けている患者は、デイサービスなどの他のサービスも当然利用しており、「どうしてもこの曜日にしか診察できない」という状況があるわけで、その上で同地域の患者を4−5名組み合わせて、スケジュールを組む。と言っても、そのスケジュール調整は婦長に任せているので、大変なのは婦長なのだが(いつもありがとう)。おかげで、以前は合計40人でもかなり時間的にきついと思われていた訪問が、大幅なスケジュールの見直しで50人でもまだ少し余裕がありそうな気さえする。婦長は、「余った時間は少しでも休んでください..」と言うが、関西では医療改革後早くも潰れた医院があると聞くご時世、今は休む暇も惜しんで稼がなければ(あまり好ましい言い方ではない)と思う。
 経営的に考えれば(つまり当院のニーズとして考えるならば)、訪問診察を積極的に勧める患者は、クリニックからの距離が近い地域に住まう一人暮らしのお年寄り(あるいは老夫婦)で、しかもそのような対象者が同一地域に密集していればなお良い。そうであれば、もっとたくさんの患者を訪問診察することができるし、もちろんコストの面でも有利だ。しかし患者のニーズは必ずしも当てはまることはない、というか遠いところに住んでいる人ほど診察に来て欲しいと思うものだ。患者のニーズを満たすあまり、あるいは患者獲得を進めるあまり、遠くの地域まで足を延ばすことになれば、効率は落ちてシステムとしての生産性は(単価だけでなくサービスの質も)下がってしまう。奥越前のように老人比率が高く、広域に住宅地が散在する環境では結局のところ、複数の医療施設がそれぞれの地域分担で訪問診察することが望ましい。もしかすると、一施設あたりの担当患者数は減るかもしれないが、反面サービスの小回りが利き長く続けていくだけの余裕も生まれてくる。そして、それがシステムの生産性を上げることにつながるだろう。しかしながら、現状では奥越前で在総診を取ってルーチンで訪問診察をこなす施設は当院だけである。それだけに、ニーズに対する責任の重さばかりが負担になる状況だ。今のところは、両方の(当院と患者との)ニーズを満たしつつなんとか中庸を渡り歩く形で、このシステムを維持するほかないようだ。
 しかし50人を越えたところに見えてくるかもしれない訪問診察の、かつて誰も経験し得ない領域を見たい気もするのだが(大袈裟か)。
平成14年6月3日
 
お年寄りの患者さんから聞いた話だが、今地元にケアハウスを建設しようとしている業者があるらしい。その業者は年寄りに、「30万円先に振り込んだら、施設に優先的に入居する権利が与えられる上、家賃が15万円から10万円に割り引かれる」と言って、入居者を募っているという。かなり具体的な話となっているが、入居者がせいぜい20人から80人ぐらいの施設で寄付を大々的に募って金を集めるのはいいが、いざ入居したくても空きがないでは許される話ではない。
 さらに大きな問題は、私が話を聞いた患者さんが完全に誤解しているということで、ケアハウスを特養や老健と同じレベルで考えているのだ。それはその患者さんだけでなく、一般的にも当てはまる話だろう。その患者さんの場合、「前金30万なら安い物だ、体が弱ったらいつでも入れてもらえるなら安心だ」ということらしい。しかし、ケアハウスは(寝たきりのような)自立していない老人は原則入居できない。そのあたりの説明があったのか、なかったのか定かではないが、私がそれを教えると、「それはあかん(ダメだ)わ、そんなん誰もはいらん(入居しない)」となって、糠喜びさせられたことに対して怒りすら滲ませていた。
 そう、下手をするとこの話は詐欺といっても言い過ぎではない内容だ。しかし聞けば聞くほど妙な話だ。普通は、ケアハウスと言ったら必ず母体となる病院(療養型)なり特養なり老健があるものだ。ところがそういった話は一切ない。ケアハウス単独での事業が成り立つとは思えない。なぜなら、入居していた老人が病気になったら?、要介護状態になったら?、退居して次はどこへ行く?という話が必ず付いてくるからだ。そうなってから考えるでは、対象者は宙に浮いてしまう。呆けて自立できなくなったときのために、終の棲家である受け皿としての「施設」がどうしても必要になる。入居中、介護サービスを受けたくなったらどこに頼むのか?そんな基本的な計画さえない状態で、お金の話だけが一人歩きする。年寄りが多いからと、安易に施設を建設してうまく話が進むほど世の中そんなに甘くはない。
平成14年5月30日決算報告書
 
本日、平成13年度の決算報告書が出来上がり、無事捺印を済ませた。理事の退職金などの相殺でマイナス収支となったが、経常利益は大幅増加となり今後の経営に期待を抱かせる結果となった。しかし本当に時勢の悪いことが悔やまれる。医療経営もかつては左うちわで楽勝の時期もあったのに、医療改革の嵐でこんなに厳しい時期に私たちはさらに身を削る思いをして、今後はそれでも生き残れるかどうかわからないなんて。実質黒字決算という喜ばしい結果が出る一方で、4月、5月ともうすでに前年度を1割以上、金額にして200〜300万円は収入減となっている。全く読めない。しかし今はやるべきことをやっていくしかないだろう。焦っても仕方がないのかもしれない。
平成14年5月15日家庭介護
 
家庭介護は難しい。寝たきりになろうかというお年寄りを抱える二つの家庭がある。
 Aさん(93歳女性)のご家庭は60代のご夫婦が同居されており、特にご主人が率先して母親であるAさんの身の回りの世話を行う。トイレ歩行が何とか可能だった状態が、腰痛が高度となったことを機に関節の拘縮も進み完全寝たきり状態へと状況が悪化した。するとご主人はなんと、痛がるAさんを無理矢理起こし立たせて、悲鳴を上げるのにも構わず手を引いてトイレまで一日何回も誘導するのだ。その光景を目の当たりにした時はさすがに不安感を抱いたのだが、その後Aさんの痛みが悪化するどころか逆に消失し、トイレ歩行の足取りも軽くなり、現在では自力歩行すら可能となっていることに驚きを隠せなかった。ご主人自身も決して健康とは言えず腰の痛みを抱えながらも、Aさんが家庭介護を望む限りはとことんまで付き合い、できることは何でもやって絶対に寝たきりにはさせないと言われ、前向きな意気込み、厳しさの中に愛が伝わってくる。ポジティブを通り越して、まさにアグレッシブな介護だ。
 Bさん(91歳女性)のご家庭も60代のご夫婦と30代の息子さんの同居だ。Bさんの息子さん(この家のご主人)は、介護に対しては専ら奥さんに任せきりで、私も彼が母親を介護する姿を見たことがない。寝たきりになろうとしているBさんに、声は掛けても手は掛けない。奥さんも腰痛があり、抱きかかえるとしんどいから体位変換など出来ないと言う。とうとう褥瘡もできてしまった。Bさんはうつ傾向があり、食欲不振からしばしば脱水症状に陥る。入院が必要かどうかの瀬戸際にご主人はBさんを目の前にして、「入院するなんて世間体が悪い。ちゃんと飯を食え。」などとうつに拍車をかける。ご夫婦(特にご主人)の考えとしては、入院や施設入所は金も掛かるし世間体も悪いので、在宅介護希望だ。しかし家庭での介護にはすでに限界が見えている。なぜなら、ご夫婦は私たち外部のサービスが家庭介護のすべてを担うものだと誤解をしており、決して家庭介護の主体になろうとしないからだ。だから、Bさんが一向に良くならないことに対する不満を我々にぶちまける。さすがに元気のなくなったBさんを見て、「本当に入院させなきゃならないようなら言ってください。」とおっしゃるので、「入院が必要云々は、皆さん次第じゃないんですか?」と切り返してしまいたくもなる。結局のところBさんは愛に飢えている。愛のない家族から離れることが、一番の治療になるのではないかと思う。これまでも同様の状況で入院しているが、入院した途端に元気に食事が摂れるようになっている。家族はそれを見て、すぐに連れ帰るが再びうつに陥る。そう、Bさんを待っているのは、ネガティブな家庭介護だから。
 ふたつの家庭介護を見てその差に憤りを感じるとともに、親の介護は人間にとって決して本能的な仕事でないのだということも実感した。家庭介護は少なくとも惰性でできるものではない。しかし、その労を惜しむBさんの息子さんを責めることもできない。Bさんと息子さんの複雑な親子関係、確執があるとすれば冷たく当たることも考えられなくもない。ならばせめて療養型なり施設なりに放り込んで、金は出してやってほしい。愛を与えろとは言わないが、最低限の道義的責任だけは果たしてほしい。その方がBさんも、そして息子さん、あなた自身も救われると思うのだが...
平成14年5月7日遺志
 
寺尾会計事務所の会長(大先生)である寺尾忠幸先生が逝去された。セレモニーホールに着いても、焼香で大先生の遺影と棺を目の前にしてさえも実感が稀薄で亡くなられたことが信じられない気持ちだったが、所長(若先生)にお会いし涙する姿を見てようやくその事態を受け入れることができた。大先生が最後まで私たちのことを気に留めてくださっていたとの話を伺い、深慈会をより良い企業へと育てていく決心を新たにした。
 寺尾先生親子とのお付き合いはまだわずか1年間に過ぎない。しかし、私の人生を大きく左右するような貴重な経験は、多くがこの1年間に寺尾先生親子によってもたらされたと言っても過言ではない。特に大先生の言葉は、私の心に妥協を許さない仕事の厳しさを刻みつけた。
 昨年4月にクリニックから病床を廃して当直看護師を置かなくなった際に、私は留守番電話を設置することを提案したが、その時の大先生の言葉が今でも耳に響く。「電話は必ず出るんです。自分の携帯に転送しなさい。(当直体制がなくて)何もできなくても話を聞いてあげるんです。重傷患者で手に負えなかったら大きな病院に紹介してあげるだけでも、患者さんにとってはありがたいことですよ。それがかかりつけ医でしょう?」と。私はそう言われた時に、「この爺さん俺を殺す気かっ!?」と思ったものだ。何しろ夜9時まで目一杯診療して、その後もかかってくる電話すべてに応対しろということだから、一年365日気の休まる時間などない。それを私にやれと言うのだから、「鬼!」と言いたくもなる。しかし大先生のおっしゃることは正論であることも事実で、少し考えた上で腹をくくった。「どこまで続けられるかわからないけれど、必要なことなら仕方ない。かかってきた電話は取る!話を聞く!いつ何時でもできる限りの対応をする!体力と気力の限界に挑んでやる!」この一年間何とか大先生の言いつけを守ってやってきた。そして今の深慈会がある。この時の言葉は結局、大先生の私に対する遺言になってしまった。遺志を貫くために、今晩も携帯電話を枕元に置いて眠る。
平成14年5月3日医療改革の責任は?
 
4月から医療改革がスタートしているが、断行した内閣が終焉を迎えようとしている。「おまえら好き勝手やって、後は、はい、サイナラか?」と言いたい。決めたことの責任ぐらい取ってほしいものだ。この先10月には老人の一割負担、来春にはサラリーマンの3割負担が控えている。私たちにとっては手痛い受診控えは仕方ないとしても、特に老人など本当に必要な医療が提供できなくなる可能性があるだけに、今の内閣、制度施行後の状態を見極めるぐらいの責任能力があってもいいのではないかと思う。しかし、自分たちの悪行の尻ぬぐいに終始する今の政治家に、そんな余裕はなさそうだ。 
平成14年5月3日安らぎはどこに?
 
早朝、谷峠まで単車で出かけた帰り、トイレのある休憩場にパーキングしたところ、ベンチにホームレスの中年男性が座っていた。気にせず隣のベンチに座ってまったりしているうちに、何とはなしに会話が始まった。彼の話では、今年1月8日に千葉を出発し新潟に向かう途中だという。何も寒いさなかに野宿の旅に出なくともいいのに何故?と尋ねたところ、「隣のオカマ野郎に腹の立つことを言われたから」とのこと。そして東京に出て太平洋岸を何となく進み続け、岐阜から九頭竜湖を越えてここまでやってきたという。新潟まで行く理由までは聞けなかったが、オカマ野郎が気に入らなくてこんなところまでやってくるはずもないだろう。彼には彼なりの葛藤があるに違いないと思った。これまで、ホームレス生活というものは目的も時間の経過もなく、気楽な生活とばかり思っていたが、コンビニのゴミ箱を漁って殴られそうになること、風邪を引いたときに最高に心細くなること、田舎の道ばたに捨てられているタマネギをかじったりと、サバイバルの究極とも言える生活内容に決して安らぎはないのだと切なくなった。さらには家の前などに置きっぱなしになっている乳母車をどれだけ盗んでいこうと思ったことか、でもどうしてもそれだけはできない、など人としての道は全うしたい、というポリシーにも感動した。また徒歩での移動という感覚が、話を聞いてもまるでピンと来ないことも新鮮な驚きだった。生活用品を抱えての10km/日の移動、半年をかけての日本横断、気の遠くなるような話だ。車なら数時間の距離が、1か月掛かる。その間5日間食事にありつけなかったり、雨で立ち往生したり。そこまでしてホームレスを続ける彼に尊敬の念すら覚えた。ただ、辛いことばかりではなく、バス停で雨宿りしている時に女子高生の二人組に、「これ食べてください」と弁当をもらったり、人情を肌にひしひしと感じる瞬間もあると言う。8年前から2度目のホームレス生活に入ったには、それなりの訳、やはりそこに安らぎを見いだすことができたからなんだろうか、いろいろなことを考えながら彼に別れを告げた、「お互いにがんばりましょう」と声を掛け合いながら。
平成14年3月25日ある死
 
今日、末期癌で訪問診察をしていた患者さんが亡くなった。Sさんは、奥さんと二人暮らし、昨年8月癌の末期と診断されて、余命わずかと言われた状況で今日までがんばってこられた。告知を受けてはいなかったものの、達観したかのように最後まで在宅診療を望み、奥さんも私たちもそれを遂行した。陽気な方で、今までも私たちには苦しい顔一つ見せることなかったし、今日も昼までは看護婦と冗談をかわせるぐらいの状況でありながら、急変し旅立っていった。在宅ホスピスなどと聞こえは良いが、すべての末期癌の患者さんにそれを求めることは不可能だ。Sさんにおいてもそのことは言えた。結果、Sさんには自分の人生を振り返る暇があったのかどうか、それも今となってはわからないが、告知があったとしても同じように自分の家に居続けただろうこと、同じように奥さんと残りの時間を静かに過ごしたであろうことは間違いない。その意味でSさんの死は、最高のエンディングだったのではないだろうか。今日は後悔はしない。
平成14年3月20日決算に向けて
 
決算の時期が近づいている。新体制で初めての決算、どうやら近年で初めての実質黒字決算となる公算が大きくなった。寺尾先生と相談の結果、今回、まとまった金額を銀行に返済すること、がんばってくれたスタッフに決算ボーナスを支給すること、を決定した。銀行へは約3,000万円の返済、またスタッフへは1か月分のボーナスだ。
 1年前こんなことになるとは想像もつかなかった(うれしい誤算だ)。だが、まだまだ...今回は単に銀行の債務の一部が少なくなっただけの話で、銀行以外の負債は氷山の水面下のように未だに大きく存在している。これらを為すまでは気を緩めてはならない。考えられることは何でもやっていく。来期は職場環境の改善、スタッフの育成を軸に、ステップアップを図りたいと思っている。
平成14年3月7日医療改悪
 医師会、薬剤卸各社やその他の情報筋からの資料が続々と集まる中、今回の診療報酬改定について当院なりの分析を行っている。中医協で最初に項目のみが発表された時は、大きな勘違いをしていた。この改正はどちらかというと、我々のような在宅をやる診療所に有利な改正なのかとタカをくくっていたら、なんとそうではなかった。一番得をするのは国で、体力のない零細診療所が、ひいてはそのクライアントたる介護老人が割を食うようになっていたのだ。きわめてわずかとは言え、在総診(寝たきり老人在宅総合診療料)の評価が下がっていたのははっきり言ってショックだった。国のやり方はいつもこうだ。階段を上らせておいて、いきなりそれを外す。介護老人増加時代に向け、かかりつけ医による皆在宅診療化を匂わせて病床を削らせ、今度は在宅にも金を出さないつもりらしい。この在総診だけは最後の砦だと思っていたのに、あっさりと下げてきた。その下げ幅が問題ではなく、「下げた」という事実に驚愕している。これは大きな問題だ。国が老人介護を軽視していることを、図らずも暴露したと言えるだろう。
平成14年3月2日不思議な巡り合わせ
 昨年秋当院にビデオ取材があり、この度その完成品をいただいたので鑑賞した。田辺製薬が企画しているビデオシリーズの中の「診療所フロンティア」というビデオだ。一般に出回ることはないもので、厳しい医療情勢変革時期に生き残るための医家向けの教育参考ビデオといったところだろうか。医家承継のモデルケースとして当院の他、大阪の真嶋医院が取り上げられている。わずか18分のビデオなので本質的な内容にはあまり触れられておらず予告編と言った感が強い(私的には)。もちろんそれで十分と言えるが、せっかくなので取材時の裏話を。
 取材は3日間に渡って行われた。天気は曇り〜雨とあいにくで、でも出来上がったビデオを見たらモヤのかかった勝山市街の遠景(越前大仏を望む景色)が幻想的(言い過ぎ(^^;)で別の街のようだった。いつも来ていただいている患者さんにとっては、待合室にいきなり大きなカメラや照明装置が持ち込まれた当日は物々しい雰囲気で、みなさん興味津々で見ておられたようだ。診察室にカメラが持ち込まれ、撮影了承を得た患者さんが撮影開始とともに、いつもよりさらに饒舌になったのは見ていておもしろかった。と同時に、きっと患者さんなりに気を遣ってくれているんだろうなぁと申し訳なく思った。
 訪問診察の場にもカメラは持ち込まれた。この日はたまたま飛び込みの往診もありかなり時間も押していて、全行程20kmをバイクで爆走(?)する中でのあわただしい撮影だった。アポ無しでお宅に伺うことはできないので、診察風景の撮影はあらかじめ話を通してあった一軒だけ。しかし移動の風景は、ボツになったものの実は凝った撮影が行われたのだ。監督のこだわりで田舎の田んぼの中の一本道を遠くから手前に駆け抜けていくシーン、両方向車線を使っての撮影車との併走など、あれがどうしてカットされちゃったのか、実に惜しい限りだ。もっともこの日は本当に時間が押せ押せだったため、患者宅間の見晴らしのいい直線を○○○km/hで飛ばしているところも撮影されてしまい、ボツになってホッとしている部分もある(まるでネズミ取りのような場所で撮影をしてるんだからなぁ)。そして最終日はインタビューで、結構いろいろな話を聞かれて答えた。確かにあれを全部ビデオに収めることは不可能だろう。だから出来上がったビデオは、私にとっては予告編みたいなもの、本編はもっと荒唐無稽で冒険活劇じみている。誰にもそれを鑑賞してもらえないのが残念と言えば残念だが。
 しかし考えてみると不思議だ。うちにビデオ出演の話が来たきっかけというのが、このHPの存在だ。やり場のない怒りをHPにぶつけただけの話なのだが、見ておもしろいと判断されたらしい。一年前は確かに最悪どん底の状態で、それからがむしゃらにやってきて、いつのまにかまるで医家承継の優等生みたいに思われて、自分たちがビデオに映っているのだ。このビデオを見て僅かでも励まされる医家がいるのかと思うと、なんだか妙な気持ちだ。こっちはまだまだ励まされたい気持ちでいっぱいである。
平成14年2月18日落ちない話
 厚生労働省が中央社会保険医療協議会総会(中医協総会)で提示した、医科診療報酬改定主要改訂項目を見ていて、医療改革の波が静かに押し寄せてきていることを感じている。もちろん、巷では来年春からのサラリーマンの医療保険負担増大がトピックスであるが、医療関係者的には今春の診療報酬改定がまず大きな壁となって立ちはだかる。病院と診療所でも受け止め方は変わってくるが、今回の改定の大筋は、「医療の役割分担」がより明確化されてきていることだろう。病院は病院らしく、診療所は診療所らしく、どっち着かずの中途半端な仕事をするな、ということらしい。私たち診療所に求められているのは、地域のかかりつけ医としての存在意義を高め(外来、訪問診療を重視)、高度医療への橋渡し役に徹すること(病診連携)である。
 大学時代は自分が高度医療の一端を担っている気でおり、医師になったからには自分の持てる知識と知恵を最大限に駆使して、患者を治療することこそが醍醐味と思っていた時期もあった。しかし田舎の開業医となってからは、少なくとも求められていることはそういうことではないこともわかったし、それを追求する暇も金もない。小さな診療所の医師に求められていることは、患者との最良のコミュニケーション、夜中の雪降る山奥に4駆で突っ込んでいける軽いフットワーク、一生涯携帯電話を肌身離さないでいられるほどメカ好きであること、だろうか。何だか私の最初の医師像からは随分かけ離れてしまったような気もするが、きれい事ばかりも言っていられない。ただ厚生労働省は、ようやくそれを一部でも評価しようとしているわけだから歓迎すべきことだ。

 今世間では、医療に金がかかるとか、院内感染で患者が死んだとか、とかく医師は悪者になりがちだが、こんな小市民的な医師が少なからずいることも認識してもらいたいものだ。不景気の煽りをモロに食らって苦しんでいる医師もいるのだ。(私がそうだ!)
 先日、未払い金がかなりの高額に達したため、誠に遺憾ながら督促状を患者宅に送ることになった。未払いにもいろいろあることはわかっている。当院に数万円滞納しながらも居酒屋で友達におごっている奴、一家の大黒柱が失業して払う気があっても収入がなく払えない人...その中のひとりが突然私に会いに来た。奥さんが来られたのだが、いろいろと感情移入せざるを得ない事情があるものの、数十万円の滞納金も無視できず、心を鬼にして私も自分の事情を説明した。それこそ後悔日誌の朗読をした(あるいはここには書けない程の内容も披露した。この後悔日誌は相当オープンであるとは思うが、とても言えないような秘密がまだ山ほどある。後悔日誌は氷山の一角にすぎない。)と言っても過言ではない。おかげで私は彼女からお金はもらえなかったものの、十分すぎるほどの同情をもらうことに成功した。しかし同情されるのも、ある意味惨めなものだ。

 今日の後悔日記にはオチがない。オチを考える余裕がなかったので。申し訳ない。
平成14年1月28日一企業として
 ふとしたことから、1年前決別した銀行の担当者との話し合いの機会を得た。この席で私がお願いしたことは、この1年の私たちの軌跡(奇跡?)を評価してもらい、腹を割った話の上で、正常な取引が再開できればありがたい、ということだった。もちろん今私たちが彼らに対して望むことは、法人の業務に関わることでは何一つないが、どういった取引先であっても永久に気まずい関係が続くことを良しとはしたくない。そのあたりは、彼らにしても同じ考えのようだった。こんな世知辛いご時世、味方は出来るだけ多い方がいいに決まっている。ただ、それが過去の名声を笠に着て止むに止まれずお付き合いしていただくのと、実績を認められてビジネスパートナーに選ばれるのとでは、全く意味が異なる。
 私たちは、取引先にビジネスパートナーとして認められたい。そのことが、私たちが一人前になれたことの証明であり、これから仕事を続けていく上での原動力となるに違いない。深慈会は今後、患者からだけでなく、一企業としても高く評価されることが必要だ。
平成14年1月18日新年を迎えて2
 勝山市医師会の新年会があり、県医師会長の西浦先生が冒頭の挨拶で医療改革について触れられた。診療報酬が2.7%下がることになった政治的背景、日本医師会の影響力が弱まっていること、それに対抗していくためにはは医師の意思統一が不可欠であることなど言及された。まあその通りだと思うが、尻に火が着いている私としては、先ず生き残るためにどうしたらいいかということを考えなければならないと思った。まだ尻に火が着いていることに気が付いていない先生は、本当、医師会のHPにある試算表に目を通すべきだと思う。診療所ベースでも年間約300万円、病院ベースだと約3,400万円の減収になるとのことだ。これでは、診療所はともかく各都市の中小病院がバタバタ倒れていくのではないかと、他人事ながら心配になる。もはやあらゆる医療機関において経営改革は不可欠と言えるだろう。うちの場合は経営改革にすでに着手しているだけに、「これ以上何をすればいいんだ!」、と悩んでしまう。
 この先医療福祉業界はどんどん変わっていく。医療福祉サービスには付加価値が必要になる。目標はホテルのサービスと言われて久しいが、今後は全ての施設が本気でそれを目指すことになるだろう。職員の質も問われる。例えば、看護業務としての准看護婦の出番は皆無となる(介護の分野でニーズは残るかもしれないが)。経費削減で一番手っ取り早いのはリストラなので、施設の中で動きの悪い准看護婦がいたら真っ先に切られることになる。十分な看護教育を受けた正看護婦のみが、正式な「看護師」として社会的にも認知されるだろう。それは奥越前の片田舎でも同じことだ。
 ここで改めて医療福祉に対して、携わる者の意識付けが重要視される。お金が欲しいから医師になる、看護婦になる、OTになる、PTになるでは、社会的にも相手にされない。確かに、崇高な気持ちだけで仕事は成り立たないだろうが、全ての対策を施した上では、もうそれしか他の施設との差別化の方策が見あたらない。しかし私たちにとって、そのことが評価につながるということはとても歓迎すべきことだ。「思いやり」は今まで金にならなかったのだから。なんとか、医療改革の波に乗り遅れないようがんばるしかない。
平成14年1月9日コンピュータの話
 ひかり病児保育園にコンピュータを導入した。と言っても、まるっきりの新品ではなく中古部品の寄せ集めで組んだ自作コンピュータだ。今時PentiumII 350MHzに10GBのHDD、96MBメモリのコンピュータは平凡どころか、時代遅れの感があるが、結構いろいろな用途に使えそうなキャパがある。保育園として一番使いでのある機能は、DVDビデオ再生だ。PII350でビデオ再生は荷が重いと思われるかもしれないが、実はこのコンピュータはDVDビデオをハードウェア再生できるようになっている。そのため、ストレス無く再生が楽しむことができる。今日も病児のお子さんが、食い入るように「ウルトラマンダイナ」のビデオを見ていた。作ってよかった、ホントに。
平成14年1月1日新年を迎えて
 病棟を廃止して初めての春を迎えた。廃止に踏み切った去年の4月には、年末年始病室に心配な患者さんがいないということが、どれだけ気が楽かと想像していたが、何が何が、ちっとも気を抜くことなどできなかった。90歳近いお年寄りが、この2週間で二人亡くなった。そうでなくても訪問診察で現在40人強の患者さんを抱えており、やはり寒さの凍みるこの時期体調を崩す方が多く、対応に追われた。
 結局年末年始はどこも行かず、クリニックの電話が転送される携帯電話を肌身離さず持ち歩き、起きるかもしれない非常時に備えた。休日期間中あまりいろんなことはできないが、かかってきた電話に対応する方法はいくらでもある。診察して注射したり、内服処方したりで何とかなるものならそうするし、精査が必要だったり専門的治療が必要ならば、近隣の大きなクリニックや病院に交渉して紹介する。それが今できることの全てだ。それが私の仕事だ。今年もスタンスを変えることなく、がんばっていきたい。
 政府は診療報酬を引き下げ、医療をボランティア化するらしい。ボランティアを否定はしないが、医療サービスの安売りもどうかと思う。結局は質の低下につながりかねない。真剣に医療サービスの質の向上に取り組んでいる医療施設には、全く迷惑な今回の診療報酬改定。私たちにはこの課題の他にも、過去の経営怠慢が招いたマイナス遺産をなくすという課題もある。果たして生き残れるのだろうか。本当に今年は正念場になりそうだ。
平成13年12月10日腹立つ季節
 師走、医師も走る忙しい季節、そう言えば最近走るなどということがなくなったが、それにしてもやることが山積みなのに、時間もないし疲れも最高潮にたまっている。日曜日が来るたびに休めると思うのだが、なぜか疲労は回復せず、やはりここまで突っ走ってきた疲れはそれだけのものということか。
 今日は賞与を皆に支給した。今回も1.5がやっとだった。悔しい。申し訳ない。官公庁も賞与を支給していた。公務員の賞与がなぜあんなにいいのか理解できない。会社で言う管理職である知事にまで出るとは信じられない。世の中こんな不景気で、失業率も5%を越すご時世。一般企業では賞与なしのところもあるというのに、私たちの税金が公務員の賞与のために費やされると考えただけで腹が立つ。
 確かに不況は国のせいばかりとは言えない。労働者にも責任はある。一部の若者の労働意識は落ちるところまで落ちている。他力本願、無責任主義、そんな労働者が首を切られても文句を言える道理はない。しかしだ。それにしても、公務員は国民の痛みをもっと知るべきではないか?彼らの多くは倒産することのない超優良企業の中で、全く営業努力することなく、黙っていてもしっかり賞与を取っていく。その賞与分を狂牛病ショックの酪農家や焼き肉屋に配った方が、よほど国民の共感を得られると思うのだが。構造改革するなら、そのあたりも考えて欲しいものだ。だいたい不況であえぐ国民に対してデリカシーの欠片もない...
平成13年12月2日人も機械も風邪の季節
 外来がインフルエンザワクチン接種患者でにぎわう今日この頃であるが、ここまでウイルスの驚異にさらされたのは初めてのことだ。いや、何の話かというと、そう、コンピュータに少なからず接している人ならご存じの「トロイの木馬」のことだ。
 連日いろんなところから、メールに乗って送られてくる。今、W32.Badtrans.B@mmとW32.Aliz.Wormの両方の襲撃を受けている。当院の複数のコンピュータに感染し、いずれもウイルス駆逐プログラムの導入で対策済みであるとは言え、ウイルスがここまで猛威を振るうとは全く予期していなかった。もっともこれまで一度もウイルスに遭遇していないことの方が偶然だったのかもしれない。しかし感染したウイルスが「トロイの木馬」で不幸中の幸いだった。もしプログラムを破壊するタイプのウイルスだったら、とぞっとする。今回のことが教訓となり、ウイルス駆逐プログラムの重要性を再認識し導入に至ったことは、これから起こるかもしれない悲劇を回避できたということで、結果的には良かったのかも知れない。やはり人間と同じで、コンピュータも風邪をひく前の対策が重要だということを痛感した。
 ところで、ウイルス駆逐プログラムにもいろいろあってそれぞれ使い勝手が違い、比べることもできたのも収穫だ。ノートン・アンチウィルス、マカフィーウイルススキャンオンライン、トレンドマイクロウイルスバスターをそれぞれのコンピュータで使っているが、ウイルスが感染したときに一番派手に教えてくれるのがノートン・アンチウィルスだ。この派手なメッセージが見たくて逆にウイルスに感染したくなる、と言ったら不謹慎だろうが、いかにもプログラムが働いている、と言う感じがして好感が持てる。
 あと、全てに共通して言えることは毎日でもウイルスの定義ファイルは更新した方が良いということだ。日々発生する新種のウイルスについては、この定義ファイルの更新なしにはせっかくのプログラムも本領を発揮できない。
 今日もまた、ウイルスが送られてきた。もうエンドレスのループになっているのかも知れない。不幸にして当院からウイルスを受け取られた方にはこの場を借りて、お詫びを申し上げたい。また感染したことに気が付いていない方、一日も早く気が付いてウイルス駆逐プログラムを導入することをおすすめしたい。
平成13年11月23日BSEだよ、全員集合!(牛肉は今が旬!)
 狂牛病騒ぎが再燃。でも焼き肉を食べたい衝動に駆られ、長男と二人で食べ放題の焼き肉屋に出かけた。夜8:00という時間は焼き肉屋としては決して空いている時間とは思えないが、なんと客は私たちだけ、正に貸し切り状態だった。焼き肉屋も大打撃だ。ほんと、やっていけるんだろうかと、他人事ながら心配になった。でも、考えてみるとみんなおかしいと思う。感染するならとっくにしてるって。みんな、散々食べてきたでしょう?感染してたら、今から何をしてももう手遅れ、往生際悪いよ。むしろ安全宣言が出た今こそ食べ時なのにねぇ。ほんと、おかしいよ。おかげで、サラダのキャベツも切れてないし、スープ鍋の底をさらうようなことをしなくてもよかったし、肉もちゃんと解凍されてた。がらがらの食べ放題店で心おきなく食べることが出来ました。めでたしめでたし。
平成13年11月18日薬価改正に悩む
 来春の4月薬価改正が迫っている。いつもこの時期は頭を悩ませる(薬を買うべきかどうか)。薬剤メーカーの中には12月決算のところもあり、この時期は薬が安くなる。メーカーは決算に向けて在庫整理をするために、大口の注文は喜ばれ取引価格もさらに下がることが多い。しかし、いくら安いからといって今時在庫を無理に抱える医療施設もないし、ましてや4月に薬価が確実に下がるとわかっていて(薬価が下がれば当然取引価格も下がるから)今敢えて買う必要はないと思われるだろう。ところが悩む理由がここにある。
 薬剤メーカーから問屋への薬の流通は概ね地域単位(例えば福井県、北陸という単位)になっている。メーカーはその地域の問屋の商いの規模に応じて出荷数を割り当て、それが事実上問屋のノルマとなる。ところがノルマが達成されなければ、次の割り当ては少なくなる。だから問屋はノルマを達成するために、医療施設に商品を決算が終わるまで預けたりすることもある。それほどまでに、営業実績を挙げることは社運に関わる重大事なのだろう(当然と言えば当然か)。
 薬の取引価格は各施設まちまちでそれぞれ問屋との価格交渉で決まるが、その条件は市場参考価格とのバランス、他の問屋との競合、買い掛け金の残高、信用度などである。私たちが4年前勝山に帰ってきた時、これらの条件は最悪だった。買掛金の残高も膨大で信用もなく、当院の名前はブラックリストに載っていた。未だにその尾を引っ張っていることに違いはないが、岡山県○○市の○○クリニック(○○院長と○○事務長は私の岡大時代の恩人である)のご厚意により一時県外から薬を安く仕入れることが可能となり、この前歴が現在の問屋との価格交渉を有利に運ぶ要因となった(本当にありがとうございます、いろいろアドバイス感謝しております)。福井県は他の地域と比べて薬剤全般について取引価格は高めだ。従って県外の価格を持ち込むことは、このノルマ制の均衡を大きく崩すことにつながるわけで、このような条件の出し方をされるといくらブラックリストに載っていてもある程度まとまった取引額が見込める限り、問屋は交渉のテーブルに着かざるを得なくなる。
 長くなったが、要は交渉次第で薬を安く購入することは可能ということだ。薬価改正後は確かに薬価が下がり、結果取引価格も下がってくる。しかし薬価が下がると言うことは問屋の利幅が少なくなるわけで当然、薬価と取引価格との差(つまり差益)も出にくくなる。もし薬価改正後の取引価格より、決算のこの時期に出てくる取引価格が上のようなからくりで下回るとしたらどうだろう。必ず薬を使い切るという確証があるならば(というかあるのだが)、例えば上位数品目を半年分購入するだけで、半年後には確実に数百万円の差益が生じてくる。前回の薬価改正ではこれを行い、少しは足しになった(しかし当時の経営状態では焼け石に水だったが)。
 資金調達、問屋とのこれからの関係など、熟考を要する問題も多いが、それでも検討はしなければなるまい。私たちは泥船を修復し波に乗ろうとしているかもしれないが、未だ必死に水を外にかき出していることに変わりはない。問屋各位にはそのあたりの事情をご理解いただき、一方私たちも、以後変わりなく誠意を持って取引を行っていきたいと思っている。
平成13年11月12日心機一転
 先週土曜日行った外来受付のパーティション廃止(改装)に伴い、今日から職員の制服も一新された。癒しの色であるグリーンの制服に身をまとったスタッフ達は、どことなく生き生きと見える。ピンクも決して悪くはなかったが、今度のグリーンはなにか清々しささえ感じる。深慈会はこうしてどんどん新しくなっていくのだ。
 もう11月、あの騒動から1年が経とうとしている。気が付けば1年。先日の生きがいネットで飯田先生にお会いした時、先生は笑いながらこうおっしゃった。「いやぁ、実は99%ダメだと思ってました」...これって、喜んでいいんだよなぁ、ここまでとにかく生きて来られたんだから...今更ながら思う、「深慈会を思うみんなのパワーがここまでの奇跡を起こしたんだ」と。10月はとうとう2.3の大台に乗ったし、言うこと無い。ほんと、ありがとう!
 しかし、ここで手綱を緩めてはいけない。今ようやくスタートラインに立っただけの話だ。これまでは、ただアイドリングしていたに過ぎない。いよいよダッシュの時が来ようとしている。そして全てがいい方向に向いた今、もう一度冷静に考えることも必要だ。
 これからも確実に一歩ずつ、前に進んでいきたい。
平成13年11月7日生きがい論実現のハードル
 
11/3、4の二日間は岡山で生きがいメディカル・ネットワーク第1回総会が開かれた。この会の前身である、生きがいのメディカル・ネットワークから数えると3回目の開催だった。飯田顧問も、いつもながら理論的で生きがい論とその推進方法をアカデミックに提唱され、喉につかえていたものが一気に取れたような気がした。特に先生の講演の中で、経営学の世界ではどうやら常識であるらしい、ブレイク・ムートンのマネジリアルグリッド技法を、生きがい論導入法に応用するという斬新な考え方に感銘を受けた。
また元来の目的である管理者の意識変革を通して組織、職場環境を改善していく、という考え方は、今後の当院の運営にも深く関わることだけに、今回いろんな意味で大きなヒントを得ることが出来た。色々調べているうちに興味深いHPにたどり着き、今、暇を見て勉強している。
 ところで今回の生きがいネットの正直で生意気な感想をひとつ。
私は、生きがいネットの目的を自分なりに解釈していた。私の勝手な思いこみかもしれないが、生きがいネットは生きがい論を医療に応用することを積極的に考えている医療関係者の集会なのだから、その原動力となる科学者たる医師、歯科医師は、単なる理論の押しつけでないエビデンスに基づいた(実証主義的)主張、発表を行うべきだと考えていた。その意味で今回の発表の一部について、果たしてこれで唯物論者を納得させることが出来るのだろうか?とふと頭によぎったのだ。
 私は医師が生きがい療法を疾病の治療に生かす際、その手段として催眠療法を施したり、生きがい論を説いたりすることが有効であると信じて病まないが、生きがい療法に懐疑的な人々を説得するためには確固たる証拠が必要だと感じている。
 特に催眠療法はその扱いに注意が必要だ。催眠療法は治療効果を客観的に評価しにくい。治療できたかどうかは、本当のところ治療を受けた本人にしかわからない。いくら「効いた!」と言っても今のままではまだ証拠不十分だ。しかし生きがいネットは催眠療法を半ば盲目的に信じる人々の集まりであって、その点については何の議論も起きていない。本来ならば、生きがい療法の一手段としての催眠療法の有効性についてまず議論すべきと思われるのに、それが十分になされていない。譲ってその必要性がないとしても、世間に対して催眠療法が「客観的に有効だ」と示す必要があるのではないか?そうしないと、生きがいネットはただの催眠同好会で、下手をすると得体の知れないカルト集団に成り下がることになりはしないか?
 催眠療法士を妻に持つ私の希望は、催眠療法を良しとする生きがいメディカル・ネットワークが、公式に日本の催眠療法士の協会なり学会を医療の立場から後押しすることだ。それが催眠療法の知名度を上げ、世間一般に認められた治療法となることにつがなると信じている。しかしそのためには、生きがいメディカル・ネットワークが同好会やカルト集団では何の意味もなさない。今は私たち(生きがいメディカル・ネットワーク)自身がその存在意義を問われているのではないだろうか?誰もそれに気が付いていないような気がするのだが...
平成13年10月26日地域を支える医療?2 
 
昨日の昼すぎ訪問診察に出かけている時、クリニックより連絡があって「救急車が2台いっぺんに来ている」と言うのでバイクを飛ばして帰ってきたら、なるほどクリニックの前に2台の救急車が横付けされていた。爆弾テロか炭疽菌テロでもあったかのような物々しい雰囲気だったが、診察室に着いてみるとうちでかかっている患者さんが、二人ベッドに横になっていて、話を聞くとそれぞれが別々の場所で、それぞれの事情で倒れたということだった。しかし、全く同時期にやってくるなんて、こんな偶然もあるものかと妙に感心してしまった。そのうちのひとりは某病院に紹介転送することになったのだが、今夜いろんな意味でちょっと引っかかる出来事があった。(前振り終わり)
 今夜は医師会で例会があった。その時その病院の院長先生とお話しし、患者を送ったりすることで重ねてお願いなどしたのだが、笑いながら先生曰く「先生(私)のところの紹介患者は難しい人ばかりだからねぇ」とのことだった。その場はさらりと流したのだが、後になって考え込んでしまった。あれはどういう意味だったんだろう。私が紹介する時は手の施しようがない状況だから人に尻ぬぐいをさせるな、という意味?それとも、私の送る患者は性格的に問題のある難しい人が多い、という意味?、珍しい病気の患者が多い、という意味?...いずれにしても、萎える言葉ではある。さてどうしたものか?地域を支える医療を考える上で連携は不可欠。こんなわだかまりのある状況で今後どうしていけば良いものか...もちろん理解があり私のわがままを聞いてくださる先生も大勢いらっしゃるのでありがたいことなのだが。
 その時ふと思い出したのが、その病院に勤める看護婦の話。ちょっと前に園長が直接言われたらしいのだが、「深谷先生のところ、入院やめたんですってね、おかげで盲腸(虫垂炎)程度の患者でもうちに来て手術するなんてことになって、仕事が増えて困るわ」
うーん、何なんだろうこの言葉。園長は「ごめんなさいねぇ」と謝りつつ、心の中で「患者さんがいてくれてあなたの給料が初めて出るってのに、この看護婦何考えてんだか」と思ったそうな。本当、その通りだ。ああ、少し論点がずれてるかもしれないが、でもひとつの地域の中での複数の医療施設、もっといい共存の仕方ないものだろうか。意識の温度差というものもあるのかもしれないが。しかし人のことばかり言っても仕方ない。自分の足りない部分も見つめ直さなければ、到底認めてはもらえないだろう。
平成13年10月18日地域を支える医療? 
 
クリニックの体制がようやく整いつつある中で、今後の訪問医療を改めて考える時期に来ている。というのも、4月から病棟廃止とともに訪問診察サービスを積極的に進めた結果、今や44人余りの対象患者を抱え、延べ診察件数で100件近く、訪問看護を含めると120件に迫る盛況ぶり(?)となった。このことは同時に、老人の多い奥越前地区のニーズに応えた結果とも言えるが、訪問医療だけでそのニーズ全てを満たすことに限界があることは否めない。入院加療の必要な疾患として、悪性腫瘍の末期、重度の心不全、急性肺炎、骨折など、この4月から数えても何件か他医療施設への紹介があった。その都度先方の先生方に無理をお願いして引き受けていただき、疾患の治癒とともに再び訪問診療に患者を戻していただいている。今までこういった流れは、出たとこ勝負の行き当たりばったりだったのだが、今後はやはりシステムを構築していくことを真剣に考えなければならない。しかし地域医療とは本来はこういうことを言うわけで、他の地域ではとっくの昔に導入されているシステムでもある。遅ればせながら奥越前でもこのような形の連携がうまくいかないか、少なくとも当院が良い先例となって広がれば、地域の患者のニーズにより確実に応えていけるのではないかと考えている。
平成13年10月21日冬の足音
 今日単車に乗って、たこ焼きを買いに行った時思った。何だか、いきなり寒くなってない?せっかく秋になったと思ったら、もう冬の足音が聞こえてきた。とにかく北陸のバイクシーズンは短い。エンジンも日に日にかかりにくくなってきているし、シートに野良猫のおしっこがかかっている頻度も増えてきた。これが東京なら、寒くても平気で乗り続けるのだが勝山は雪が降るのでそうもいかない。今のうち、せいぜい往診で走行距離を稼がなければ。
平成13年10月9日商人根性?
 久しぶりに風邪を引いた。4月からの緊張が最近和らいだのか、それとも途切れてしまったのかわからないが一気にやって来た。しかしおもしろいことに、うまい具合に連休にぶち当たった。平日寝込んで診療に穴をあけると、商売としては大変な損失となる。そんなことを考えるようになった自分も随分とせこくなったと思うが、身体もそれに連動するとはいよいよ商人根性も板に付いてきたか?しかし貴重なお休みを風邪で寝込むというのも、なんとも歯がゆいというか悔しいというか...あーあ、ついてない全く。
平成13年9月17日単車往診周知計画
 あの暑い夏も過ぎて、ようやく訪問診察にバイクを使える季節になった。
 バイクに乗る人は皆知っていることだが、夏のバイクは体力的に本当にきつい。とにかく暑い。風を受けて走るのだから涼しそうに見えるかもしれないが、考えてみて欲しい。何しろエンジンを股に挟んで運転しているのだから、火の玉をいつも抱えているようなものだ。
訪問診察となると、ほとんどの患者宅でクーラーを点けていることはない。お年寄り、特に寝たきりのお年寄りは概して寒がり。こんなに暑いのにどうしてそんなに布団を重ねて寝ているのか、我慢大会でもやってのかと思うことすらあるぐらいだ。それどころか、8月中もストーブをつけているお年寄りがいたのは驚いた。ここまで行くと、本当に病気なのだから仕方ないということになってしまうが。
 とにかく、こんな状況だから今までバイクの出番は全くなかったわけだ。しかし9月も半ば過ぎると日中もそれほど暑くない日もあり、「今日はバイクで出てみようかな」などと思うことも多くなった。今日もバイクで訪問診察に出たのだが、患者、家族の反応は微妙だ。「へぇ〜!」と、ただただ驚く人、「気をつけてくださいよ」と心配そうに言う人、「すごいですねぇ」とちょっと怪訝そうな顔をする人....しばらくは続けてみようと思う。何しろアイデンティティなのだから、がんばって定着させたいと思っている。
平成13年9月16日新たなる決意
 小6の長男を後ろに乗せてバイクツーリングに出かけた。紅葉には少々早いが天気も良く初秋の山の自然を満喫しに、九頭竜渓谷へ向かった。考えてみると、長男をバイクに乗せるのは3年ぶりぐらいだ。いつの間にか妻のヘルメットが詰め物なしに被れるし、タンデムステップにも楽に足が届く。「おまえいつの間にそんなに育ったんだ」と嬉しく思う反面、「くそー、年取ったなぁ」と複雑な心境になる。
 九頭竜湖の駐車場にバイクを停めて涼んでいると、さすがにツーリング日よりだけあって後から後からバイクの集団が現れる。ライダーたちがヘルメットを脱いでガヤガヤとはしゃぎ始める。その姿を見て気が付いたのは、誰ひとり私より年上のライダーがいないことだ。「くそー、年取ったなぁ」と思う反面、「どうだ、がんばってるだろ?」と誇らしい気持ちになった。長男が大人になって例え単車に乗らないとしても、私はまだまだ乗り続けるつもりだ。
平成13年9月8日これからは演劇の勉強もしないと
 今日は土曜日で午後休診なので、急遽外来スタッフ対象に接遇のシミュレーションを行った。現在もある程度のレベルは保たれているとは思うが、同じようなケースで対応にばらつきがあるのも困るので実例を挙げながらみんなでディスカッションした。
 こういうことは頭ごなしに注意しても、言う方も言われる方もおもしろくないし身に付かないので、楽しんで身に付く方法を昨晩考えた。12種類の症例をあらかじめ設定し、くじを作って番号をひとりひとり引いてもらい、それに対応する症例を使ってシミュレーションするのだ。
 例えば、初診患者が受付に来た時に、どういう言葉かけをし、どのように誘導するか、酔っぱらいが絡んできた時にどう対応しいなしていくか、など。私が患者役となり迫真の演技!を披露した甲斐もあり、ひとりのスタッフの対応をみんなで見ることによって、初めて気が付くこともあったし同時にすり合わせも出来た。次回はビデオに撮って見直すことも検討してみたいと思う。
 それにしても、酔っぱらいの演技は好評?だった。
平成13年9月4日戯れ言
 今週は一週間が長い。毎週ふと気が付くと木曜日ぐらいで、「もう木曜日か」ってな感じなのに、今週はまだ火曜日だ。何なんだろう。
 考えてみると、今週は結構暇だ。この日誌も午前中書いている。患者が少ないというのも、楽なようで楽でない。やはり私は、忙しくして自分を絶えず痛めつけていないと駄目なタチらしい。精神的マゾとでもいうのか...
 今朝は雨だが、昼からは晴れるらしい。気候も涼しくなってきたし、あーあ、どっかに単車乗って行きたいなぁ。
平成13年8月24日評価
 寺尾先生のご配慮で、梓研究所の中林梓先生にわざわざお越しいただき、当院の経営評価をしていただいた。保険点数漏れがあまりなくお褒めをいただいたことは良かったし、4月の時点で素人同然だった医療事務スタッフがよくぞここまで成長してくれた、と感謝の念に絶えない。
 しかし、別の意味では危機感を感じる。すなわち、取りこぼしがないということは、これ以上の増収は見込めないということなのだ。確かに月間診療報酬は2,000万円をコンスタントに上回り、医師ひとりの無床診療所としてはまずまずのレベルを維持している。しかし債務の大きさを考えると、とにかくできる限りの増収は望みたい。やはり最終的に手元に残る金額を見るにつけ、危機感は拭えない。
 さらに皮肉なことに、仕事が回れば回るほどこれまでありがたいと思っていた人手が余って重荷になってくる。おそらくこれからは、その余った人手をどう活用し、無駄にしないようにするかが大きなテーマとなってくるだろう。
 今日早速、婦長と医事課長に一つの課題を提起した。対象患者が増えたこともあるが、今月から訪問診察は私ひとりで巡回することになった。この体制は今後患者が減っても維持しようと考えている。そうやって、看護士の時間を捻出し、医事課との時間的接点を作り話し合いを持ち、当院ならではのサービス提供をスタッフ自らも考えていってもらいたい。
平成13年8月1日対岸の火事ではない
 このところ企業の合併話をよく耳にする。地元の薬剤卸問屋メーカーも今度合併するらしい。薬価差益もどんどんなくなり、卸問屋も薬を右から左に動かすだけの時代に突入して、商売が難しくなってきていることは端で見ていてよくわかる。卸問屋メーカーの業務は薬剤の商いから、コンサルテーションなどに重きが置かれる状況になるようだ。私たちとしても、様々な業者から経営に関する多くの提案がなされることはありがたい。ただ、サービスの質の問題は大きく、こちらが注意していないと、不正確な情報に振り回されて結局損失を被ることにもなりかねない(確か、療養型病床群導入時にそういうこともあったように記憶している)。火事場の残骸拾いをようやく終えた状況では今更燃える物もないが、それでも十分に気をつけていきたいと思う。
平成13年7月20日他はどうなの?不景気だけど
 賞与の時期になった。みんなががむしゃらに働いてくれたおかげで、賞与分が何とか捻出できそうだ。基本給ベースで1.5というところか。正直なところ今年賞与は無理だと思っていたのだが、やはり残業も付けずにがんばってくれているみんなに報いたい、との気持ちが勝った。余剰があるわけではないが、これでまた12月まで死に物狂いでがんばるしかない。
平成13年7月15日頭痛がする
 寺尾先生(若先生)と朝から経営会議。4月からの流れを振り返ってみて、銀行に提示した目標が達成されているかどうかの確認を行った。そして、今後も債務返済予定額を上回る収入が見込めるかどうかが、最も気になるところだ。
 月間医療報酬は4月が2,100万円、5、6月はやや2,100万円を割っている。このことも含めて、分析した結果2.2のラインが維持できれば、債務返済が楽勝のパターンであることがわかった。
 しかし私はこれを聞かされて、果たして2.2で行けるのだろうかと本当に考え込んでしまった。4月は患者数の多さを肌で感じたので、2.1もあり得るだろうと思った。しかし、5、6月は本当に苦しんで苦しんで働いて働いて、それで2.1以下だったのだ(私の感覚としての話だが)。あれだけやっても2.1にならないとは、一体どうすればいいんだ、という気持ちが正直ある。寺尾先生は、「目標を高く置かなければそれだけの物になってしまう」とおっしゃったが、私の感覚としてはまあ1.9か2.0がコンスタントな線ではないかと思った。1.9でも何とかならないわけではないらしいが、そのためには当院の高い薬剤費率を下げるという永年の課題もクリアしなくてはならない。恥ずかしながら、ひどい時は医療収入の4割近くになる薬剤費率は古い時代より当院が抱える癌のようなものだ。今も少しでも投薬を少なくと患者に提案するが、昔から処方されている薬をいきなり切るわけにもいかず改善には時間を要するだろう。いっそのこと院外薬局を、と考えるが土地柄難しい面もある。
 やはり2.2を維持すべく、策を練るしかなさそうだ。頭が痛い。
平成13年7月9日探検!林道王国勝山
 最近林道探検に執心している。日曜日に暇を見つけて、勝山の山間部(勝山自体が山という話もあるが)に出かけ、山の上に向かう細道に片っ端から突っ込んでいく。単車(ホンダFTR250)を使うこともあれば、車(三菱デリカスペースギア)を使うこともある。昨日は単車で北郷町にある岩屋線に挑戦した。岩屋線は昨年も車で走破しようと試みたが、途中で渡れない溝があり断念していた。そして今回は単車を使っての再チャレンジとなったのである。
 FTRは完全オフロード仕様ではないため、岩屋線のような所々ゴツゴツした岩が散在する道はかなり苦しいが、溝も埋められておりなんとか峠を越すことができた。峠からの勝山の夕景はすばらしい。しかしその感動も、ここでスタックしたら助けを呼べないという不安感と表裏一体だ。日が暮れる前に下界に降りなければ。雲に沈んでいく夕日、この先道が途切れていたら引き返さなければならないという焦りに背中を押されながら、一気に駆け下りる。
 ガードレールさえない急な坂道、雨水の流れた後の轍(わだち)、瓦礫と格闘しながら走っていると、ライトバンを路肩に停めて湧き水で涼をとっているおじさんに遭遇。下、行けます?と聞くと、おう!、と返事。挨拶をし、ほっとしながら下っていく。いつの間にか道は古びたコンクリート舗装に。そしてエンジンの音をかき消すほどの渓流の響き、重なる滝しぶきを感じながらの驚嘆走行となる。美しさに見とれる暇もなくひたすら下り続け、ようやくたどり着いたのが丸岡町の竹田川上流の龍ヶ鼻ダム。巨大なアーキテクチャーを前に一息。すでにあたりが暗くなり始めたダム、その駐車場に車を停めて憩う恋人達の前を、安堵の気持ちで通り過ぎた小さな探検だった。
平成13年7月4日病児保育とは
 病児保育士がお預かりした病児のおかあさんから悩みの相談を受けた、との報告があった。その悩みは、「(通っている)保育園の保育士から、『病気の時でさえ、おかあさんが(子供の)看病をできないなんてかわいそうね』と言われたけど..」というものだった。うちの病児保育士は、返答に詰まったということだった。そしてその後のコメントで、その気持ちもわかる、と言っていたことも耳に挟んだ。
 病児保育士がそれでいいのだろうか?園長もこの一連の話に疑問を投げかけ危機感を抱いている。
 おかあさんに看病されない子供はかわいそうなのか?看病できないおかあさんは不幸か?その答えを論議する前に、おかあさんが看病したくてもできない事実を無視しないで欲しい。できなくて悩んでいる事実を理解して欲しい。
 なぜ病児保育がこの世に存在するのか?その価値は?もっと本質的なところでなぜ保育士という職業が存在するのか?
 おかあさんが看病(or保育)できないから、病児保育(or集団保育)があるのだ。その単純な発想が理解できない病児保育士は、病児保育士であると言えるのか?
平成13年7月1日勇気をもらう
 滋賀県の小児科医、西藤先生がひかり病児保育園を見学に来院された。先生夫婦も経営と医療の理想との狭間に立たされ、今後病児保育を始めるかどうか悩まれているようだ。私たち夫婦が「やろう!」と決断したのが単なる思いつきであったことが、なんだか恥ずかしい。もし訳がわかっていたら、明らかに経営の足を引っ張るであろう病児保育など絶対始めることはなかっただろう。しかし、訳のわからない内に始めてしまったことは、今考えてみるとよかった。おかげで、自分を見つめ直す機会に恵まれ、病児保育を通して感動し、励まされ、アイデンティティを得ることもできた。先生と話しをさせていただくことで、自分たちを再認識し、続けていく勇気をもらったことだけは間違いない。
平成13年6月23日なんてこった
 ネット詐欺にひっかかった。ネット通販はこれまでも何度となく利用してきたが、今回は少々油断していた。欲しいものがどこにもなく、そのHPでようやく発見できたので嬉しくなって、つい大金を送金してしまったのだ。ところが3日経っても送金確認のメールもないため不思議に思って、Web検索をかけたところ、ななんと、悪徳商法紹介のHPに体験談が出ているではないか!もう目の前が真っ青になった。しかしまさか、自分がひっかかることになるとは。妻には、あなたってつくづく運のない人ね、と慰められた。その言い方に、妙に実感がこもっていたのが悲しかった。
平成13年6月1日そろそろ再活動
 ハードディスクがクラッシュしてから、新しいホームページを作り直すことに躊躇していた。なにしろ新体制になってから、息つく暇もなかったし疲れてしまってその気になれなかったからだ。「逃がした魚は大きい」という言葉とは少し違うかもしれないが、あのディスクにあったホームページのメインページのデザインは気に入っていたのだ。作り直すからにはそれを越えるものでなければ納得できない。構成も根底から考え直す必要がある。そこまで思いついて初めて取りかかる気になるというものだ。そしてようやくやる気になってきた。
平成13年5月5日連休返上
 新しいスタッフはがんばってくれている。4月のレセプトの請求に向けて連休を返上して働いてくれた。そして何より心強いのは、前向きのエネルギーを感じることだ。はっきり言って院長をはじめ、当院の現在のスタッフは医療経営については全くの素人である。会計事務所や銀行の力を借りて何とかがんばっていくしかない。今は経営的技術はなくてもこの前向きのエネルギーさえあれば、どんな困難にも耐えていけるに違いない。
平成13年4月23日経営学=哲学=医学?
 今の会計事務所に見切りをつけてから、話は一気に進んで寺尾会計事務所とのお付き合いが始まっている。もっとも決算書が出るまでは今の会計事務所との契約はまだ終わっていないので、並行して活動をお願いしているわけだ。この寺尾会計事務所を支える2人の寺尾先生(親子である)は、実にアグレッシブでクリエイティブな方々だ。おかげで深慈会も、急速に人任せの会計から自分達で管理する会計への脱皮を計ろうとしている。
 寺尾先生親子とお会いしてから、法人の方向性がより明確に見えてきた。先生方の経営に対しての考え方は、非常にシンプルでありながら哲学とも言えるような奥深さがある。経営学は未だによくわからないが、哲学なら医学との共通点は多い。経営学と医学は、実は哲学という接点で背中合わせだったのかもしれない。少なくとも、この先医学的=哲学的発想で経営をしていけば、長い目で見た時必ずや報われるに違いない(基本的に方向性は間違っていなかったと思う)。
 ただやはりそれだけではないのが流石プロで、私たちのこれまでのやり方の無駄な部分が的確に指摘され、次々と改善されていく様は正に目から鱗が落ちたような、という表現が相応しい。宣伝するわけではないが、本当にお願いしてよかったと思う。
平成13年4月21日気持ちの中休み
 忙しさはしばしば目的を失わせる。何のために忙しいのかさえわからなくなることもある。今の深慈会がそうかもしれない。みんな懸命に仕事をしているが、目標である「思いやり」を忘れてはいないか今一度振り返らなければならない。患者様に対する思いやりはもちろんのこと、スタッフ同士にも思いやりを。忙しく動き回ることだけに満足してはいないか、みんなで時々見直さなければ。ふと、そう思った。
平成13年4月9日新生ひかり病児保育園
 いよいよ新生ひかり病児保育園が始動した。
新しい保育士の二人は、病児保育の知識は詰め込みで経験はこれからだがやる気に満ちている。私たちは前の保育士に対して、過大な期待と評価を与えたことで失敗している。今回はこのやる気を殺ぐことなく、一歩引きながらゆっくり成長を待つことにしたい。病児保育はいろいろな意味で難しい。「いろいろな」とは、保育業務自身のことを指すだけでなく、労務管理の面でも特殊だ。クリニカスタッフとの関係にも、配慮をしていかなくてはならない。
 園長は病児保育園が始まった今の時点でも、底知れぬ不安に取り付かれている。私も不安がないと言えば嘘になる。しかし、これは私たちだけができることであり、私たちがしなければならないことだと理解すれば答えは一つしかない。今は地道にがんばるしかない、結論を急いではならないのだ。
平成13年4月7日無理は続かない
 ハードな毎日が続いている。私にしてみると、朝9:00から夜9:00まではひっきりなしに患者を診ている状態だし、看護士にしてみると当直がない代わりに明けの休みが一切無く、ローテーションで中抜けの夜9:00までの業務があり、そのペースがなかなか掴めない。
 そして何より医療事務が一番厳しそうだ。とにかく業務を遂行しながらレセコンに触って慣れ、薬剤の名前や点数も覚えていかなければならない。毎日レセコンへの点数入れ込みに夜8時までかかり、みんなが連帯責任と残っている。主任が士気を高めまとまりがあることは実にありがたいことだが、何しろ見ていて申し訳なくなる。経験者がひとりしかいないにも関わらず、本当によくやっていると思う。
 しかし、残業することは今時美徳ではないし経営的にもロスは大きい。少しでも迅速に正確に業務をこなすために、当面アウトソーシングを入れることは避けられそうにない。今無理をしては長続きしないだろう。仕方のないことだ。
平成13年4月4日狸を数える
 夜9時までの外来初めて3日。初日はわずか2人だった患者数も、今日で早くも10人を数えるようになった。積極的に広告を出したわけではないが、口コミで着実に「夜9時まで」は広がりつつある。しかしおかしな話だが、夜7時以降は私と看護士の二人で業務を担当するため、あまり外来数が増えることは望ましくないかもしれない。ある人数を超えると、処置、薬局業務、会計業務が滞り外来機能が麻痺することは想像に難くない。仕事帰りでも気軽に立ち寄れるクリニックを、と考えて衝動的に始めたことだがもし20人、30人と患者が来たらどうしよう、と考えてしまった。こういうのを捕らぬ狸の皮算用と言うのだろうか。
平成13年4月2日再出発
 新スタッフによる深慈会の出発だ。
朝、全員をホールに集めそれぞれの自己紹介、そして私が今後の抱負を語った。ここに集まった皆の顔が、不安と言うよりも喜びと期待に満ちたものであることに安堵を抱き、感謝している。スタート地点についたばかりなのだが、ようやく、やっと、このスタッフなら何かができそうだという気持ちがしてきた。今日のスタッフの笑顔、これを見たいがために3年間いや4年間、がんばってきたのだ。この笑顔を絶やさないために、私は最大限の努力を重ねたい。
平成13年3月31日髭よさらば
 深慈会の新たな船出の前に、どうしてもしておきたいことがあった。それは、うっとおしい髭を剃ることだ。かれこれ1年半ぐらいになると思うが、髭を伸ばしてきて「髭の先生」のイメージが定着したところで剃るのだから、下手すると業務にも支障を来すことになるかもしれない(髭で覚えているお年寄りやお子さんも多い)。
 しかし、これまでの自分を捨てて新たな気持ちで物事に打ち込むために、今日髭を全部落とした。久しぶりに見る自分の顔は、とても間抜けだった。あると思っていた首がないことにも気付いた。なんかちょっと寂しくなった。
平成13年3月28日その日
 Xデイ当日。午前11時、かの銀行より当法人口座に1億3千万円が振り込まれたことをオンラインで確認。ATMで記帳済みの通帳と印鑑を持って現銀行に出かける。窓口の若い男性行員を捕まえ、「深慈会が現在抱えている、貴行債務の全てを返済したいのだが」と伝える。行員は軽く返事をして奥へ。ほどなくパーティションの向こうで、年輩の行員数人が何やらガタガタし始める。そのうちの一人が私のところに腰低くやってきて、「ここでは何ですので、あちらで座ってお話ししましょう」と、フロアの端にある四角く区切られたブースへの移動を促した。
 やたら熱めのコーヒーが運ばれてくる。見覚えのある担当者が目の前に座り、矢継ぎ早に捲し立てた。クルクル回るコーヒーフレッシュの模様をぼんやりと見つめながら、黙って話を聞く。「いつ頃から決められていたんですか?」「なんとかお考え直す気はありませんか?」「私共との信頼関係はどうなるんですか?」「困るんです、この時期は。せめて4月に入ってからにしませんか?」いつの間にか人数が増え、支店長も加わって威圧的な雰囲気だ。
 私は強く要求した。「借入の約定書、手形の返却、抵当権抹消を
お願いします。根抵当権も外してください。少なくとも約定書、手形をもらうまでは帰りませんから」その後も、押し問答が続きようやく向こうが折れた頃には、コーヒーもすっかり冷めていた。
 これでここにも二度と足を踏み入れることはない。冷えてあたりの柔らかくなったコーヒーを一気に飲み干し、返却された大事な書類を抱えて、さっぱりとした気分で銀行を後にしたのだった。 
平成13年3月24日最後の患者
 今日、最後の入院患者を送り出した。褥瘡がなかなか治癒せず、家庭での管理が出来ないため、もう2年近い入院生活が続いていた。訪問診察・看護に持っていってもおそらく悪くなって感染症を起こし、先が長くないであろうことは間違いない。何か納得できない気持ちで、彼女を療養型病床群のある近隣の病院へ転院させた。環境が変わっても、がんばって元気になってほしい。弱々しく手を振る痴呆の笑顔がいっそう眩しく感じたのは何故だろう。
 夜、診療の終わった後、誰もいない灯りの消えたナースステーションに佇むと、「気味が悪い」というよりは「涙が出るほど寂しい」という感情しか湧き上がってこない。30年以上に渡って地域の患者を支えてきた病棟の灯りが消えたのは、今日が初めてだ。いや、これからずっと灯りが点ることはない。いろんなことが起きて、忙し過ぎて、気付いたら今日がその日だなんて、まだ頭が受け入れられない。
平成13年3月20日新体制
 新体制ができつつある。人づてや求人で、良くも悪くも若い人材が集まってきた。しかしはっきり言って、私には人を見る目がない。だから、面接でこれまで何度も騙されてきた(もちろん騙される方が間抜けなだけだが)。今回も性懲りもなく、集まってきてくれただけで嬉しい人材を、事実上ほぼ無条件で受け入れた。その人材がこれからどう成長してくれるのかは私次第なのだろうが、今度こそは失敗のないように行きたい。
 それにしても心配事は尽きない。なんと新しい医療事務採用者のうち経験者がひとりしかいないのだ。保険診療を行う上でどうしても経験は必要だ。当面は大枚払ってアウトソーシングに業務委託をお願いするしかない。そして私も看護士も、にわかに点数計算と受付業務のマニュアルに目を通し始めた。いったい役に立つのかどうかもわからないが。
 保育士についても非常に不安材料が多い。二人のうちひとりが新卒採用者で、病児保育の概念以前に保育の概念をわかっているのかどうかが不安だ。もうひとりが保育経験がある母親なので、当面はそこでバランスを取るしかなさそうだ。3月下旬より病児保育は2週間の休園となる。この間にどれだけの知識と思い入れを頭に詰め込むか、それが今後の課題だ。
平成13年3月15日アイデンティティIII
 看護士の日替わりローテートと中抜け勤務を導入して、労働基準をクリアし夜9時までの外来を実現させたいと思う。奥越前では、土曜日あるいは日曜日の外来は珍しくない。他と同じことをしても、深慈会の衰退イメージを一気に挽回することはできないだろう。しかし、平日夜9時までの外来ならインパクトはある。身体的にはきついだろうが、やってみる価値はありそうだ。これなら立派なアイデンティティと言えるだろう。
平成13年3月13日アイデンティティII
 気が付くと卑屈な自分がいた。はっきりいって今、深慈会はジリ貧状態だ。4月には病棟を閉め、職員の数も半分になる。傍目にも、少なくとも「飛ぶ鳥を落とす勢い」からはほど遠い。焦りと不安がどうしても払拭できないでいた時、婦長が大きなヒントと勇気をくれた。「うちしか出来ないことをやりましょう」、「看護婦もがんばります」と。そして、話し合いを進めるうちに浮上した案が、田舎では斬新な夜9時までの外来診療だった。やはりアイデンティティがキーワードだったか。
 今夜は興奮して眠ることができない。卑屈な気持ちは、いつの間にか消え失せ、一筋の光が見えたような気がする。
平成13年3月12日人材はいずこに
 考えてみると、これまでは妥協しすぎたのかもしれない。奥越前という閉ざされた社会の中で、最高の人材を揃えると言うことは無理なことだと諦めていた。しかし、そうやって3年間妥協を繰り返した結果が今だとしたら?...
 チャレンジしてみたい。妥協をせずに私のわがままを通してみたい。それで駄目なら諦めもつくというものだ。これからスタッフを集め直そう。そして新しい色の深慈会を作るのだ。早速求人を出した。人づてに話を聞き始めた。吉報を待ちたい...待つしかない。
平成13年3月9日秒読み開始
 かの銀行との債務一本化計画は順調に進み、Xデイが決まった。
3月28日が決行日となる。この日、私は現銀行に出向き、すでに振り込まれている法人の銀行口座から1億3,000万円を引き出し、法人に関わる全ての債務を一括返済する。かの銀行の彼曰く、これは現銀行にとっては相当な事態であるらしく、かなりの抵抗に遭うだろうとのことだ。しかし、私たちにとっても、これ以上の猶予はない。強い意志を持って臨むつもりだ。
平成13年3月5日アイデンティティ
 園長は病児保育を続けることに悲観的だ。この際止めて医業に専念すべきだと言う。確かにそうかもしれない。もう一つの赤字部門である病児保育は、今の法人には荷が重い。ましてや、二人の保育士もいなくなるのだ。どこに存続する理由があるのか、と普通なら考えるだろう。
 私は普通ではない。だから止めない。私には、正月にお会いした飯田先生の一言が未だに耳について離れない。それは、「アイデンティティ」だ。先生は、赤字部門切り離し案を私たちに提案した際に、確かに病児保育についても触れていた。「おたくのアイデンティティでもありますからね...」しかしその後の結論としては、曖昧なものだった。良いとも悪いとも判断しかねる話の中で、私の頭に焼き付いたのは「アイデンティティ」の一言だったのだ。
 病児保育はうちのアイデンティティだ。もはや、病児保育なしの深慈会はあり得ない。もちろん母体を脅かすような経営はできない。これを生かした経営を考えなければならない。いつか必ずアドバンテージになるはずだ。その日が来るのを信じたい。
平成13年3月1日連鎖反応
 残ってもらいたい看護士や医療事務の人間に声はかけたものの、逆に断られるという予期せぬ事態に陥っている。やはり今の時期は本当に辛い。泥船に残るのは船長だけか。やめると決まった職員は一時のショックが過ぎ去ると、今度は職場の統制を乱し始める。それに引きずられる職員が、辞職の連鎖反応を起こす。もはやここには真実は存在しないのか。皆何を信じて仕事をすればいいのか、わからなくなりつつある。しかし、婦長と事務主任だけにはわかっていてもらいたい。今が試練の時、いつか皆で笑いたいと。
平成13年2月28日さらに打ちのめされる
 病児保育の二人の保育士が辞表を提出してきた。彼女たちとは、密に話をしてきたつもりだっただけに、本当にショックを受けた。ひとりの保育士はこう言った、「先生が信じられない、子どもの喉も見ない、いい加減な診察をしている先生についていけない」と。
 私は手を抜いたつもりはなかった。ただ、独りで知らない場所に置かれてしまう病児の不安を少しでも軽減したい、痛くもない喉に診察で金属の板を突っ込んで怖がらせるようなことはしたくない、という気持ちはあった(それが後で保育をする人間の負担を減らすことにもつながるのだから)。一般小児科外来の一見さん(いちげんさん)の患者と違って、一日経過観察できるのだから、何も焦って診察することはないという考えだったのだ。病児保育士だからわかってくれるだろうと、タカをくくっていたのが悪かったのか。落ち込んでいる暇はないが、保育士の言葉は謙虚に受け止めるつもりだ。まだまだ修行が足りないようだ。
平成13年2月27日小さな自分
 新しいポストを用意した介護士が辞めるという。それは仕方のないことかもしれない。彼女にはリハビリのポストを用意し、これまでどおりの給料の支給を約束したのだが、介護士としての上を目指すのであればこのポストは不満に違いない。しかし辞表を提出してきて、その後彼女の発した言葉に絶句した。なんとか自分を解雇という形にしてくれないか?と言うのだ。結局自分の思い描いたとおりには、人は動いてくれないものだ。それどころか、油断していると足をすくわれることもある。小さな甘い自分を思い知った。
平成13年2月25日経営者として人間として
 リストラのことを考えると気が滅入る。職員には何と説明すればよいのか戸惑いながらも、しかしとうとう話す時が来てしまった。ありのままを話すしかない。そして、経営者としては会社を優先しなければならない。対象者は現職員数の約半分にものぼる。看護士は奥越前では引く手あまたで、本人の気持ち次第で再就職は可能だろう。問題は介護士だ。当院では介護士は資格を問わず、気持ちさえあれば採用していた。病棟の思い入れも強く介護士の育成に力を注いでいただけに、彼らを無条件で切ることに憤りを感じる。市内の各医療、福祉施設にお願いし、なんとか採用試験だけでも受けさせてくださるように交渉した。資格がない、ということは不利な条件だろうが、今彼らにできることは、そんなことぐらいしかない。しかし一人の介護士については、なんとか当院でのポストを用意することができそうだ。
 打算的で人卑なことをしている自分に、ほとほと嫌気がさしてきた。
平成13年2月19日救世主出現
 現会計事務所の顧問の先生は調子の良いことばかり言い、この期に及んでも、何ら経営上のヒントを私たちに与えるでもなく二言目には前院長夫妻の退職金の話をしてくる。私たちはこの法人を守るために、最善の策を講じるつもりだ。少なくともそれが、退職金を数千万円も出すことでないことは間違いない。
 私たちは新しい会計事務所を探している。もうこことはやっていけない。税務署OBが多く監査などで融通を利かせる一方で、クライアントを降りた事業所などには嫌がらせをするなどと、あまり良い噂を聞かない。また、それが怖くて契約を打ち切れない事業所も多いと聞く。しかし仕事はと言えば、貸借対照表を作るだけで経営上の有益なアドバイスはほとんどない。そんなところと今後いくら話をしても先は全く見えないだろう。
 私たち夫婦の友人である武生在住のある夫妻から、斬新な思想を掲げた会計事務所の話を耳に挟んだ。それが寺尾会計事務所だ。
平成13年2月17日生き残りを懸けて
 かの銀行の彼との話し合いが続いている。法人が抱える債務を一本化し、無理のない返済計画を遂行することについての話し合いだ。現銀行はそういった相談には全く乗ってはくれなかったが、かの銀行は私たちの話に耳を傾けそして誠実に対応してくれる。この話は何が何でもまとめなければ。そして深慈会の未来につなげなければならない。
平成13年2月15日重荷と決断
 人件費が完全に足を引っ張っている。いろいろな経費を削減しても人件費だけはどうにもならない。赤字部門の切り捨てとリストラ、もはやこの問題を避けて通ることはできなくなった。これ以上病棟を存続することは自殺行為に等しい。それにしても債務返済の重荷よ。まるでバーベルを担いでフルマラソンしているかのようだ。
 法人を守るために、そして歴史を守るために決断をしたい。
 残す職員のリストアップに入る。今月末の給料日、決行しなければならない。1月初めの先生の言葉がさらに重く肩にのしかかる。
平成13年2月14日お金がどんどん失くなる!
 医療施設は薬問屋から薬を買う。買えば代金を支払わなければならない。その他人件費も含め施設の運営にかかる金額は馬鹿にならない。月末基金から振り込まれた診療報酬は、日を追うごとに支払いに費やされ、数百万円単位で失くなっていく。引継がなかった状況で、どんな業者と取引があり、どんなリースがどれだけあるのか全体像を掴むことが不可能なため、請求書が届くたびに背筋が寒くなると妻は言う。前月の診療報酬は底を着こうとしている。自転車操業状態か。全く恐ろしい話だ。患者様は、こんなに来てくださっているのに...
平成13年2月12日どうしてもだめか?
 妻は銀行、会計事務所、商工会議所、医師会館などを目まぐるしく奔走し、前体制の業務の引継さえない状態で経理や事務をこなしていく。痛々しいが、ほとんどの時間、私がこれらの業務を手伝うことができないのが申し訳なく、情けない。素人ながらなんとか経営を立て直そうと必死だ。妻が画策した1月に入ってからの経費削減計画は壮絶なもので、おかげで表向き上はなんとか経営が成り立っているように見えている。しかし現実はかなり厳しい。やはり分析のとおり、どんなにがんばっても病棟部門の赤字は補填できず、そこに銀行債務の返済過多が重くのしかかる。このままでは法人税すら払えない状況だ。やはり決断が必要か。
平成13年2月1日また会計事務所?
 3年前に私たち夫婦が勝山に帰ってきた時、当時の会計事務所と事務長の不正をあばき、深谷病院は経営改革を起こしたかに見えた。しかしその後、何の具体的な経営改善策を採ることができず、気が付いた時にはさらに傷口が広がっていたという事態に陥ったのは、経営者と、その時から委託の始まった新しい会計事務所の責任だ。会計事務所は経営相談を受けていたはずだが、小手先のことだけで切り抜けようとした(法人の資金難に対して、法人名義の各種保険の解約によって調達した資金を投入し、見せかけの経常収支のつじつま合わせを行い、何ら経営上の改善策を示さなかった)。また経営者は、それを良しとした。
 そして驚いたことにこの会計事務所は、辞めた前院長夫妻の退職金と称して法外な額を支払う旨を綴った議事録を勝手に作成し、私にその認証をしろと迫るのだ。こいつらは法人の将来のことなど全く眼中にないらしい。そんな会計事務所に顧問料を払う意味があるのか。からくりが徐々に見えてきた様な気がする。もう、完全に切れた。
平成13年1月24日曇りのち晴れ
 昼の診療を終え暗い気持ちでひと息吐いていた時、ある青年(と言っても後で聞いたら同い年だった)が面会に訪れた。彼はとある銀行の支店長代理だが、私とは面識がなくまた当院は彼の銀行との取引もない。そんな青年に、なぜ話をする気になったのかはわからない。行き場のないもやもやした今の気持ちを、とにかく誰かに聞いてもらいたい、ただそれだけだったのだ。たまたまやってきた彼に、これまでの顛末を話したところ、彼は同情してくれたようだ。そして今取り引きしている銀行のやり方に、同じ銀行マンとして憤りを感じる、と言ってくれた。嘘でもいい、少し気分が晴れたことは事実だ。
平成13年1月2日辛い選択
 藁をもすがる気持ちで友人の経営専門の先生に相談し、正月返上で当院の経営診断をお願いした。そして出た結論は、このままの状態で経営を続けると4月には倒産するだろう、との厳しい内容だった。
 そしてこれを回避する方法は、非採算部門である病棟を捨てることしかないという。病棟を閉鎖するために職員も減らさなければならなくなる。どうすればいいのか...何とか他に方法はないのか。
平成12年12月26日銀行の洗礼
 理事長としての初めての対外業務である銀行との話し合いに臨んだ。銀行に出向き、支店長に現状の理解と協力をお願いするつもりだったのだ。何本かある億単位の債務返済について、調べてみると銀行優位のとんでもない返済計画が立てられているがために、これが法人経営の足を引っ張っていることは明白だった。返済の猶予を申し込んだところ支店長の返事は、返済額の不足分を新たに融資しましょう、などという本末転倒の回答だった。出されたコーヒーは妙に熱く、そして苦かった。その瞬間、頭の中で何かのスイッチが入ったような気がした。
平成12年12月20日泥船で漂流
 突然引き継ぐことになった深慈会は大変な泥船だった。今月の支払いにも苦労するほどの財政難、そして借金の山。ここまでの状態とは夢にも思わなかった。とは言え、いなくなった前理事長に代わって私が責任を持って舵取りをしなければならない。どうしても診療に時間を取られるため、経験の全くない妻が法人の経理を取り仕切ることとなる。キャパシティの高い妻に感謝するとともに、今は泥船でも穴を塞ぎながら航海を続けるしかないと思っている。どこにたどり着くかもわからない漂流ではあるが。
平成12年12月17日!?
 何が起きたのかさっぱりわからない。院長が突然他院の院長に就任した。なぜ今この地を離れる必要があるのか?世代交代には良い時期だと言うが、事を起こすのがあまりに性急すぎる。県の医務薬務課や保健所への届け出、手続きも済んでおらず、何より職員への説明もない。理事長/院長の立場の人間としてはあまりに無責任ではないか?とにかく、内部崩壊だけは避けなければ。
平成12年12月16日信じてきたこと
 県の監査が入った。
 3年前に監査を受けた時は、ボロボロだった。私もここへ来たばかりで、何もわからなかった。看護婦の勤務時間の管理も曖昧、新看護は名ばかり、これを見た時我慢がならなかった。
 そして今回の監査。あれから3年が経ち、私たちは思いやりの医療を理想にがんばってきた。病棟には人員をつぎ込み、サービス向上に努めた。食事の質も大幅に改善した。職員は何人も入れ替わった。若い婦長を抜擢した。辞めていく職員にもなじられた。無駄だと言われながらも、会議を繰り返した...
 監査終了後担当官から出た言葉に、胸のすくような思いがした。
”新しい婦長さんもよくわかってらっしゃるようで、前回と比べて大きな進歩が見られますね。”
No.0030 平成12年11月21日、救急車に乗るといつも思う。進路を邪魔するなっ!と。この場を借りて言いたいのは、救急車が近づいたら、車は絶対止まって欲しい(対向車線でも)。徐行では道を譲る意志があるのかどうかもわからないのでイライラするばかり、それどころか徐行さえせずに平気で救急車の前走る車もある!...よく救急隊の人は文句言わんなぁ、と感心している。もし僕が運転してたらきっと、「止まらんかいっ!コノヤロ〜ッ」、てマイクで叫んでるかも。偉い人たちだ。少なくとも今は追い越しざまに中指を立てることしかできないけど(^^;、なんかほんとモラル疑いたくなるよ...自分が病気になった時のこと考えてほしいもんだ。もしかしたら救急車のお世話になるかも知れないのに。ちなみに僕は救急車を見たら、単車に乗ってても絶対路肩に寄せて止めることにしてる。福井県のモラルを疑うことなので、皆さんよろしく(岡山も、東京もその辺しっかりしてた)!
No.0029 平成12年11月15日、昨日初めて2001年のカレンダーをMRさんからいただいた。丸められたカレンダーを伸ばして、「2001」という文字が目に飛び込んできた瞬間、あることが思い浮かんだ。と言うと随分と大袈裟だが、そう、大昔に見たあの映画のことだ。「2001年宇宙の旅」、当時もそして今日の今日までもだが、未来はあんな風になるんだ、と夢見たものだ。2001年は少なくとも僕の気持ちの中ではとんでもない未来であって、未来は現実とはかけ離れたところにあった。エアカーが町中を走り、コーヒー!と叫ぶと壁の小窓が開いてコーヒーが出てくる部屋、テレビを通して友人と会話、歩かなくても床が動く廊下、そして何と言っても宇宙旅行!、実現したものもあるけれどやっぱりあこがれの未来であることに変わりはない。だから来年2001年が来ることはわかっているはずなのに、2001年はいつでも手の届かない未来だった。
 それが今日「2001」の文字を目の当たりにして、いきなり現実と「2001」が強引にシンクロした。子供の頃から大事にしていた夢が壊れたような、でも何か感慨深いような、なんだか妙な気分だ。
 ところで2002年には、どんな気分になるんだろう。2001年は過去の未来?うーん...
No.0028 平成12年11月10日、母校である地元の中学校の校医になった。学校保険会議に初めて出席して先生方のお話を伺い感じたのは、今の”中学生”期はそれからの人生に大きな影響を与えるほどの心の変遷を伴う時期なのかもしれない、ということだ。この席で先生方から、子供の学校生活における心のサポートについて、医師としての意見を求められた。なるほど、中学生になると第二次性徴を経て、その中でもいろいろな葛藤を覚えることで、心の経験が豊かになる多感な時期でもある。しかし心のサポートと一言で言うが、なかなか難しい。
 実際、今の子どもたちの場合、経験が全て実体験を元に形成されるとは限らない。情報網が発達するあまり、得た情報全てが現実感を伴わないバーチャルな経験としてインプットされる。その経験も未処理のまま、次々と新しい情報が詰め込まれ、この中から自分にとって有意義な情報のみをピックアップしていかなければならないのだ。そういう意味では、確かに今の思春期の子どもたちは大変だ。今、正気を保つことができるのは、子供達の持つ柔軟性がなせる技か?
 しかし、器用な子供ばかりとは限らないだろう。例えば、人の生死に対しての認識はどうだろう?今、病人やお年寄りはほとんどが病院で死ぬ。人の本当の死を目の当たりにせず、ゲームの中で簡単に死を体験しリセットし生き返る子供達には、人間が死ぬという感覚が正確に理解できない。死の意味がわからなければ、生の意味もわからないだろう。死ぬまでいじめる事件が起きるのも無理はない。子どもたちにとって、やはり心のサポートは必要なことのようだ。
 心の成熟のために、子どもたちに(限らず大人にも)どのような形で手を差しのべればいいのか、少なくともそれを真剣に考える医療者は存在する。その波が今度は、教育の場にも広がっていくならば、きっとすばらしい未来が開けるような気がするのだが。
No.0027 平成12年11月8日、大阪サンパレスで今月25、26日に開催される全国病児保育協議会総会に向けて、今準備をしているところだ。今日は、この1年の保護者の方々にいただいたアンケート結果をまとめていたのだが、改めてひとつひとつの意見を読んで、この事業を始めて本当に良かったのか?と感じた。と言うとなんとも情けないと思われるかもしれないが、つまりは、それだけの責任の重さというものを今更ながら、ひしひしと感じているわけだ(始めた当初は、がむしゃらでそんなことを感じる余裕さえなかったのだ)。一年が経過して、今後の見通しとかしなければならないことが少しずつ見えてきて、一方ではふと振り返ると無性に不安になる。まだまだ未熟な自分を認識して、次の山を乗り越えなければならない。「前向きに!」、とは言うけれど、なかなかどうして文字通りに体を動かすことは難しいことだ。最近、体重もまた増えちゃったし...あ、ちょっと違うか。
No.0026 平成12年11月5日、今年も残りわずかとなると、なぜか焦りが出てくる。○○○○の試験はあるし、病児保育協議会の総会は控えてるし準備することは山ほどあるんだが、何故か手に付かない。このHPもそろそろ、大幅なリニューアルを考えているんだがそれも今のところは棚上げか。県境の山にでも出かけて、紅葉でも眺めて気を鎮めてくればいいのかもしれないが、間が悪く今日は当番医で外に出られないし...仕方ないので、ちまちまとHPの更新をする。
No.0025 平成12年11月1日、福島の秋は寒かった。生きがいのメディカルネットワークで活発に意見交換を終えた後、磐梯山経由で帰途についたがなるほど前評判通りの寒さ。山頂のドライブインでの気温は昼間なのにも関わらず8℃!。福井に帰ってきたのが日も落ちた21時なのに気温は13℃。ん〜、福島は寒い...でも、あの紅葉の見事さは当分の間目に焼き付いて離れそうもない。しばらくは疲れた心をあの錦で包み込んで、お仕事に気合いを入れて行くとするか。
No.0024 平成12年10月25日、組織の人事を束ねることは本当に難しい。同じ出来事について公平に判断するためにみんなの意見を聞くと、一体どれが真実を語っているのかがわからなくなる。いや、どれも真実なのかも知れないが、ひとそれぞれ受け止め方が違うと言うことか。そして僕の立場としては、誰かに軍配を挙げて決断を下さなければならない。
職員間のトラブルで仕事が回らなくなろうとしている。昨日ひとつの決断を下し、ひとりの職員を休職させた。彼女のしてきたことを評価した形だ。彼女は他の職員の手本になるべき人間だったが、それができなかった。2年前に彼女をこの施設に呼び入れたのは当の僕である。そしてこの2年間は彼女を取り立てたが為に、他の職員に大きなストレスを掛けてしまった。責任を感じている。一度こぼれた水を元の器に戻すことは難しいかも知れないが、付いてきてくれる職員のために、できることをやりたいと思っている
No.0023 平成12年10月22日、昨日は岐阜県は船戸クリニックへ看護士長、介護主任を連れて出かけた。飯田史彦先生の講演会を聞きに行くためだ。飯田先生は過去世療法の研究成果について講演されたが、その方面に知見のない人間にとっては実にうさんくさい話に聞こえるかもしれない。昨日のあの場にはむしろそういう人間は少なかったはずだが、二人は何を感じてくれただろうか?僕は高校2年の時初めてオカルトチックな高橋佳子先生(現GLA代表)の話を聞いてから、その方面に多少なりとも興味があり、すでに過去世の存在も「あるらしい」と認識していたので、改めて現在、越智先生や飯田先生の過去世療法の話に触れてもさほど抵抗なく受け入れることができる。でも本当は、過去世を受け入れる、受け入れないということが本題なのではなくて、飯田先生の講演から理解してほしかったのは、「人生何事も前向きに!」というメッセージだ。また飯田先生が最終的におっしゃりたいことは、そういうことなのだろうと僕なりに解釈しているのだが間違っているだろうか?
No.0022 平成12年10月11日、90歳を過ぎた寝たきりの痴呆老人(患者様)とその息子さんの話。
歩行困難を主訴に入院されたその患者様に、機能訓練を続けて歩行が再び可能となることはおそらくない。彼女はかなりの頑固者で、介護にも非協力的な職員泣かせの患者様だからだ。息子さんは入院当初から事あるごとに母親の回復を切望する旨を、我々に嘆願してきた。しかし今後は、現在でもある多少の痴呆が、これ以上進まないようにすることが出来ることの全てと言っていいだろう(簡単に言っているようだが、結論に至るまでには紆余曲折あったのである)。仮に検査で癌が見つかったからと言って、年齢から言っても彼女にしてあげられることはない(実際、検査してもこれといって悪いところはなかったのだが)。当院はご存じのように医学的管理の離れた患者様は、退院していただく方針だ。寝たきりなら訪問看護に切り替えるか、施設に紹介するかのどちらかになる。入院後半年を経て、在宅はできないとの息子さんの話もあり老健施設への入所が決まりつつあった昨日、施設の相談員と入所の段取りをするはずであったのに、彼はなんと大酒飲んで時間外の受付に奇襲をかけ、散々クダを巻いて帰ったというのだ。相談員からは、「家族があれでは入所は無理」、との連絡をいただきこちらは平謝り...一体何を考えているんだか...
彼は滅多にない早期に決まった入所話をホゴにした上、多くの介護関係者を敵に回し何よりも自分の母親の人生を台無しにしようとしている。当院でも、今週中に母親を退院させようとの話も出てきている。当院に母親を一生置いておきたいという気持ちはわからないでもないが、手段があまりに姑息だ。ホント、いい歳の取り方をしたいもんだ...(^^;
No.0021 平成12年10月7日、〜恒例となっている朝礼の3分間スピーチより−告知の重さ−〜
告知というと通常は、癌の告知のことを指すことが多い。しかし告知には「癌でない」告知もある。このことが癌の告知以上に大きな意味を持つこともある。僕が医者に成り立ての頃、当時アルバイトしていた都内の病院で持っていた外来に、ある中年の男性が訪れた。胸のレントゲン写真を撮ったところ、右の肺門部に直径3cm大ほどの腫瘤が認められた。しかし腫瘤は肺癌の典型的な様相とは違っていたこと、仮に肺癌だとしても転移を疑わせる所見が何一つなかったことから、おそらくは手術で取り切ることが可能で、再発もない予後の良いものではないかと考えられた。中年男性は、「正直に教えてくれ」、「自分は身寄りもないし、もし癌なら癌で遣り残したことをしておかなければならないから」、と言った。僕は、まず癌ではないと考えていたこともあって、外科での気管支鏡検査の必要性も含め、わずかながらの癌の可能性、そしてたとえ癌でも取り切れることを時間をかけて説明し、大学病院の外科を紹介したのだ。彼は僕の話にいかにも理解を示し、その後大学病院に入院し気管支鏡検査を受けた。しかし、度重なる気管支鏡検査でも結論は出ず、とうとう手術で切除して確認することになった。このような症例では、いずれにしても切除してしまえば問題にならないので、検査の結論を待たず手術に持ち込むこともあり得ることだった。
 さて、明日手術という時に、突然彼は退院すると言い出した。外科から内科に連絡があった時、全く寝耳に水だった。あれほど物分りのよい人がなぜ今になって、と思った。僕は外科病棟に駆けつけ、彼を空き部屋に引きずり込んで話を聞いた。結局昼休みに二人だけで部屋に入り、話が終わったのは夕食時、どうせ癌なら手術など無意味だと言う彼を説き伏せどうにかその気にさせて、次の日無事に手術は終わったのだった。そして組織検査の結果は、「陳旧性肺結核」、そう、やはり癌ではなかったのだ。彼は数日後、意気揚揚と退院していった。話はそこで終わりのはずだった。
 一年後、耳を疑うショッキングな出来事が起きた。自宅で首を釣って死んでいるところを発見されたのだ。やはり彼は、最後まで自分を癌と信じて疑わなかったのだ。
 告知には「癌でない」告知もある。しかし告知はその内容がどんなに楽観的なものであれ、人一人の人生を変えるには十分な力を持っている、ということを思い知らされた出来事だった。
No.0020 平成12年10月2日、乳幼児支援一時預かり事業「ひかり病児保育園」が開設一周年を迎えた。初年度の利用者は月平均20人(年間約240人)、決して多くはない。さてこの数字、どう分析するか?勝山市の人口2万7千あたりとしては多い方だろうか?病児が少ないと言うことは喜ばしいことであるから、これでいいのか?...
いずれにしても、我々のこれからの使命は、病児保育園の存在を知らずに病児を抱え込んでいる家族に啓蒙して、利用者を増やすことである。病児保育の元祖とも言える、枚方病児保育室などは年間1,500人以上の利用者があると聞いている。そこまで今望むのは無理としても、少なくとも社会に貢献していると言えるだけの仕事はしたいと考えている。
No.0019 平成12年9月29日、先日京都で開催された「在宅ケアを支える〜ネットワーク」の発表の中に在宅ホスピスや在宅ターミナルケアについてのものが少なからずあり、サービスが体系化されていることに感銘を受けた。当院でも大昔から在宅死は進めてきている。しかし田舎の風習に従っただけの、どちらかというとネガティブな医療であった感が否めない。医療の進歩は、マテリアルの進歩も当然の事ながら、管理の進歩でもある。例えば、昔は在宅でIVH(中心静脈栄養)の管理などできるはずもないと思っていたが、正しい知識を家族にも啓蒙することによって不可能では無くなっている。悪性腫瘍末期の疼痛管理も入院しなければできないわけでもない。これからの在宅死はマテリアルと管理に裏付けされたポジティブなものでなければならないと感じている。それが成熟した医療が最終的に行き着くところなのだろう。病人は医療施設で寂しく死を迎えるのではなく、自宅で暖かな、そして安らかな死を迎えるのだ。
そんなことを考えていたところ、大学から在宅ターミナルケアの依頼を引き受けることになった。
家族の協力体制も万全であり、在宅死に対して理解もある。これから連日往診、時に夜中に診察に行くことにもなるだろう。そして、誰もが納得の行く最後を迎えることができれば、と願っている。
No.0018 平成12年9月28日、入院中の患者様のご家族の方と話をしているうちに、ご自身の入院時の闘病生活の話になった。彼はお母さんの付き添いをするために連日来院されるが、今もなお、ご自身も大変な病気と格闘しているのだ。その病名は、急性骨髄性白血病。つい1ヶ月前に数回の化学療法を終えて退院し、お母さんの突然の入院に自分をそっちのけで心を痛めている。
病状の説明に続いて彼自身の病気についての話になった時、僕の脳裏には大学病院時代に経験した辛い思い出が走馬燈のように駆けめぐった。僕は肝臓の専門だが、実は大学病院時代、総合内科に一時籍を置き専門医の元で血液疾患を数十例診ていた。その中には、急性骨髄性白血病、慢性骨髄性白血病、悪性リンパ腫など難病がいくつもあった。これらの病気は程度の差こそあれいずれも悲惨で、過酷な化学療法による副作用に悩まされ、連日採血で血小板の数の変化に一喜一憂し、密室となるクリーンルームの中での孤独との戦いを強いられる。治療の困難さに挫折感を覚えながら毎日病棟に通っていた頃のことを思い出した。
彼は、すべてを知っていた。そこには、自分の病気ととことん闘い、一方ではありのままを受け入れる姿勢があった。そこに至るまでにはどれだけの葛藤と落胆、悔恨を乗り越えてきたんだろう....共に闘病を誓った患者の死に何度も立ち会い、今でも死を身近に感じ続けなければならない生活とはどんなものか?
逃げる場所もなく、治療中に人格が破綻していく人達も多い。僕の目の前にいる彼は、その意味で奇跡の人であり、人間として学ばなければならない大事な物、或いはそのヒントを与えてくれる師でもある。改めて人生の意味、命の尊さ、本来の医療のあり方について考える機会を得ることができた。
No.0017 平成12年9月21日、身寄りのないお年寄りがひとり入院されている。高度の慢性関節リウマチでほとんど寝たきり、最近はうつ状態も進行し食欲もあまりない。先日、そのお年寄りが「お好み焼きが食べたい」と言われた(ちょうど地元のお祭りで病棟の前に御神輿が通ったりして、ふと思いついたというところか)。
困った。せっかく食欲が出てきたのだから、お好み焼き、食べさせてあげたい。しかし給食の個別対応にも限度がある。では実際このお年寄りから500円いただいて、屋台にまで買いに走るか?それも難しい。なぜ?と思われるだろうが...つまり、それを正規のサービスとしてクリニカに取り入れることができないからだ。
もしそれが許されるということであれば、頼みさえすれば誰でも何でも買ってきてもらえる、ということになってしまう(必需品ならともかく)。
苦肉の策として今回は僕自身が身銭を切って、入院されている方全員にお好み焼きを提供することにした(ほんの一切れ、たかだか合わせても2,000円程度にしかならないのだが)。これならば、「副院長のおごり(^^」ということで、今回だけ特別!という名目も成り立つ。申し訳ないが看護士に買いに走ってもらい、入院されている方全員に一切れずつ提供した(ちなみに衛生面のこともあるので、お祭りの屋台でなくお好み焼き屋さんのお好み焼きを買ってきた)。
しかし今回のこの行為...自分で決めておきながら冷静に考えると、どう解釈していいやらやはり悩んでしまう。そんな裏話とは無縁なのは、期せずお裾分けにありつくことになった他の患者様方...大喜び!(^^;回診の行く先々でお礼を言われた。なんだかなぁ〜、複雑な気持ちだ。
No.0016 平成12年9月19日、ここ数日間で痴呆症状が顕著な方の入院が増えてきている。クリニカ・デ・ふかやは精神科ではないので、例えば徘徊や夜中大声で叫んだりすることについての対策は正直なところ不十分だ。入院同意書にあるように、ご家族に付き添っていただいたり(現実それだけで症状が収まってしまうこともある)、不本意ながら安定剤や、睡眠剤を使用することもある(決して良いことではないし、世間の流れとしてはこういった薬は使用しない方向で進んでいることも承知の上だが、落下などの事故を未然に防ぐ意味からはやむを得ないと思う)。あとはどこで線を引くかだ。すなわち、近隣の精神科病院(たけとう病院)へ紹介するかどうか、このあたりの判断が難しい。ご家族は、当院を名指しで患者様を連れて来られる。その際に入院適応は本当に吟味するようにしているが...しかしいざ蓋を開けてみると想像を絶する(^^;展開が待っている。例えば慢性関節リウマチが高度でステロイド内服もそれなりという方、胃潰瘍で治療中の方など、痴呆の進行に或る程度目をつぶっても、やはり内科的な管理は外すことができないので当院で入院管理せざるを得ない。以前、痴呆症状が高度なために精神科病院に転院していただいた胃潰瘍の患者様(抗潰瘍剤も服用していて、症状も落ち着いていた)が、転院後一週間で吐血して舞い戻ってきたことがあった。福井市には内科と精神科両方の管理が可能な病院(松原病院)はある。しかし勝山市にはない。患者様のニーズとは斯くも複雑で思惑からは外れてしまうものだ。片田舎の医療で元々完璧を期することなど不可能なのかも知れないが、複雑なニーズに対応する田舎独自のシステム作りができたらいいのに、と思う。
No.0015 平成12年9月15日、自らを対人恐怖症と称する青年と話をした。それが原因で大学を辞めるかも知れないと言う。話をしているうちに、まるで自分のことのようだと感じた。彼にも、僕のことを話した。小学生の頃、旅行先で、母からタクシー乗り場でタクシーを拾ってくるように言われて、運転手にどうしても声をかけられなかったことや、高校生の頃、自分が人と違っているのでは、といつも意識していて、身動きが取れなくなってしまったこと、など。彼も全くそうだ(同じだ)、と言う。僕は精神科の医師でもないし、ヒプノセラピストでもないので、彼のおそらくは年少時に受けたであろうトラウマを取り去ることはできない。でも、僕とよく似た彼には僕の経験が役に立つのではと、次のような話をした(要点のみ)。
自分はいつも隣の人間を注目しているか?していないだろう。だから同じように誰も自分のことを注目などしていない。だいたい自分はそんな特別な人間か?そうじゃない、その他大勢の一人に過ぎない。人混みの中に紛れた自分を、誰が注目し、探し出そうとしているのか?そんなこと常識で考えてもありえないことじゃないか。
それに、人が何と思おうと、どんなに自分のことを誤解しようと、自分の本質に変化など起きていない。汚かろうと、太っていようと、それが自分、真実の自分を認めなきゃならない。どんなに悩んでも変わらない事実、ならばそんなことで悩むのは無駄じゃないか?
中傷したり、いじめたり、嫌な奴らがいても、そうすることをもってその人たちは自分に「こんな事を人にしてはダメだよ」って教訓を与えてくれてるんじゃないか?そう思えばそこで自分もひとまわり成長する、ああ、なんて親切な人たちなんだろう、って思えば?
とにかく、なんでもシンプルに、前向きに考えてみたら?人生楽しくなるよ。
ああ、そうだ...今の自分にこそ、この言葉を贈らなきゃ。
No.0014 平成12年9月13日、台風と秋雨前線の為に足止めを食った新幹線の中に閉じこめられた人たち...ひどく怒っていた。どうもこの先、対応の不手際を問われてJR東海幹部の責任問題にまで、話が発展しそうな雰囲気だ。すべてはリスクマネジメントのまずさが引き起こしたことと言えるが、ホント最近のニュースの話題はこんなことばかりだ。雪印の乳製品のコンタミネーション不祥事、三菱自動車のクレーム隠し...人間は過ちを繰り返して進化する動物だから、事故はしかたない。しかし事後処理をいかにうまくこなすかが、その人間(企業)の人格や能力、果ては存在価値にまでつながってくる。
医療業界はというと、実際、いつも重大なリスクと隣り合わせだ。だからと言って、事故はしかたない、などど割り切れない部分も多いはずだが...人の命を預かる医業という商売は、これまで特別視され過ぎた。崇高なものである、いや、あるに違いないという幻想が、従事するものにおごり高ぶりを、またその恵を受けるものに盲目的な畏敬の念を増幅させた。間違いがあっても、それが表在化しない、あるいはできない環境があったのだ。その意味で、我々医業に携わる者は、甘やかされ、ただただ顧客(患者)の善意によって支えられてきたと言える。
早く目覚めよ!田舎者たち...恩を仇で返すな、地位に溺れるな...そして真のプライドを取り戻せ!
...あ〜あ、話が重い(^^;まるで北陸の空のようだなぁ...
No.0013 平成12年9月9日、外来にお掛かりの或る患者さんから、ナツメをたくさんいただいた。ナツメなんて、ここ数年僕の脳裏からは完全に排除されていた言葉だったので、薄い緑色(そう、丁度このHPの”ようこそ!〜”のバックグラウンドの黄緑)の、でこぼこした小石のような実をかじるその瞬間まで、どんな物だかも思い出すことができなかった。しかし口の中にふんわりとしたりんごのような風味がいっぱいに広がった時、「ああナツメだよ!これ」、と懐かしさが一気にこみ上げた。さっそく家に持ち帰り、妻と子供ふたりに食べさせた。妻は「なにこれ?ナツメってこんなの?へぇ〜、知らなかったぁ〜」、上の子も「何これ!何これ!?」、下の子は「梨??おいしー」とそれぞれお気に入りの様子、今日一日我が家はナツメがブーム。でもナツメを知っていたのは僕だけ、ブームの喧騒の中ひとり、なんだかほのぼのとした記憶にしばし浸っていたのだった(^^
No.0012 平成12年9月7日、やらなきゃならないことが山積みなのに、何だか何一つ手に付かないって状況あるよね。今はそんな時期。昨日は仕事が終わってから、気分を変えたくて家族を道連れに秋吉に焼き鳥を食べに行って暴食してしまった。やせようと思って、先日ウォーカー(ホームセンターで安売りしてる、振り子運動で雲の上で歩いてるみたいに運動できるやつ)買ったばっかりなのに、ホントにもう...なんかまた気分重くなっちゃうね(体重も)。結局、気分は変わんないけど、やるっきゃないか。
No.0011 平成12年9月5日、ベッドを持ってクリニックを維持していくことは本当に難しいと、今更ながら感じている。極端な話、19床しかないベッドを満床にするのか?空にしておくのか?経営的に考えたら、なーんも考えずとにかく満床にしなければならない、しかしそうなると急性疾患の多くを他の医療施設に回さなければならず、普段外来で診ている人を本当に困っている時に診てさし上げられないという情けない状況に甘んずることになる。地域の医療のニーズに対しキャパを持っておくことを重要視するなら、いつも空部屋を多く持っておかなければならない、しかしそうなると看護、介護体制を十分に整えれば整えるほど人件費がかさみ、経営的に成り立たなくなる...
ここ2か月ほど、暑さで足が遠のいたこと、風邪が流行っていないことも手伝って、外来数が減少している(それとも、もっと恐ろしい原因があるのか、例えばうちが愛想尽かされたとか..)。また積極的に、入院患者の退院、施設への紹介を進めたこともあり、病床にも空きが目立つ。これでいいのか?これでは、やっていけないのか?気持ちだけでは、医療施設はやっていけないのか?本当に苦しい。くそっ、どうしたらいいんだ!ああ〜...
No.0010 平成12年9月4日、今日は本当に言いたいことがたくさんある。でも、ここではいろいろと差し障りがあって言えない。ただ概要はこういうこと。研究会から帰ってきて園長、婦長から話を聞くと、んー、正直な話、院内の雰囲気、かなり緊張感がないんじゃない?って感じ。このところそう大変な入院があるわけでもなく、看護士の数も少し増えて仕事も分担されて楽になったこともあって、本来の方向性が見えなくなってるんじゃないか?こういう時って、突然とんでもないことが起きて、足をすくわれたりするもんだ。願わくば、早くみんな緊張感を取り戻して欲しい!...今日の日記、あまりに抽象的すぎて理解困難?許して(^^;
No.0009 平成12年9月1日、昨日今日と神戸で開催されている院内感染対策講習会に参加している。毎年、この時期に開催されて参加しているのだが、MRSAを始めとする院内感染を起こす感染症についての知見は、参加毎に少しずつ変化があり、目の離せないところだ。有床診療所であるクリニカ・デ・ふかやを運営していく上で、この知見は必要不可欠なもの。小さくても提供する医療に、大学病院と大差があってはやはり困る。
しかし現実は、院内感染対策に限らず、そう胸を張って言えるほどの水準には至っていない。みんな頑張ってはいるが、真価が試されるのはこれから(もちろん自分も含めて)。
このところ、院内感染について不行き届きな管理から事故が起き、新聞の紙面を騒がせている。先日の外来小児科学会とはまた違い、切実な悩みをもつ諸家の集まりといった感じの雰囲気をひしひしと感じて、そんなことを考えていたものだ。
No.0008 平成12年8月29日、ホームページを開設して1か月が経過した。施設が昨年クリニック化してから、いろいろと積極的に広報活動を行ってきているが、この1か月の反響というものはそれ以前と比べて随分と異なる様な気がする。人から、「いろんな事考えてやってるんですねぇ」と不意に言われて、「えっ、なんでそんな細かいことまで知ってるんだろう?!」と驚き、「ああそうか、HPに書いたっけ」と納得。自分の気持ちを書きたいだけ書ける、表現の仕方も自由自在のHPという媒体は、ポスター一枚、雑誌の片隅に載る記事とは全く次元が違うということを実感している。それだけに、今後はよりいっそう内容に責任を持たなければならないなと、決意を新たに持った。
しかし、そんな風に肩を怒らせていると、内容はどんどんつまんなくなるので、やっぱり適当にやろうとさらに決意を新たに持った(^^;
No.0007 平成12年8月27日、内科医の目で見た小児科の学会(日本外来小児科学会)。まして、2年前まで基礎研究室で遺伝子に関わる仕事をしていた自分にとって、とても新鮮なものがある。病児保育という接点で、高名な先生方とお話しできることに対し感謝するとともに、いっそう気を引き締めてこの事業に取り組まなければという気持ちにさせられた。それにしても、病児保育という事業は小児科の先生方に認知度が高い割に、やはりまだ市民権を得るほどのものではないのかなぁ、という印象を持ったことも事実。内科医でありながら病児保育を始める、それにはそれなりの理由があったわけだが...こわいもの知らずとは、こういうことなのかなぁ、とも思った(^^;
No.0006 平成12年8月24日、落雷の被害で総務のパソコンが壊れて、それを修理することを機にほのぼのホール(食堂)のスタンドアロンのパソコンもネットワーク化しインターネットに接続、職員や患者様が自由にインターネットにアクセスできる環境を構築した(修理と整備に昨日はAM2:00ぐらいまでかかってしまった)。で、今朝の朝礼でインターネットもこれから自由に使ってくれと話をしたところ、以外にも(いや当たり前か?)コンピュータに触ったことのある人間が少ない。これからグループごとに、扱い方を教えていくつもりだ。
 しかし、コンピュータのコレクターと化している自分(IBMのノートが9台、その他のノートが3台、自作デスクトップが4台、ジャンク化して修理続行中のコンピュータが2台)は、もう麻痺してしまっていて、コンピュータのある生活、コンピュータと寝る生活が当たり前になっている。今更コンピュータのない生活なんて想像もつかないが、しかしそんなんでいいのだろうか?と思わないわけでもない...人相手の商売をしている自分が寝る暇惜しんで機械の相手をするなんて。でも一日と電源を入れない日がない現状(と言うか、入れっぱなし(^^;)、それに仕事するためには必須のアイテムとなっていることを考えると...楽しんで操っているつもりが、コンピュータの皮をかぶった無限地獄に弄ばれているのかもしれないと、はたと気づく今日この頃。
No.0005 平成12年8月22日、今朝早く、ある看護士が辞職を申し出、辞めていった。彼女は1か月前に就職したばかりだが、説得虚しく本日退職が決まった。一体どういう経過でそうなってしまったのか考える...こちらの落ち度は?彼女の能力不足?いろいろな想像が脳裏を巡る。面接の時に必ず言う言葉、「ここではやりたい企画があれば、どんどん取り上げて検討する。あなたの描いている理想があれば、かなうかもしれない職場。しかし、ただ言われたことさえしていればいいと考える人にとっては、辛い職場かもしれない」、この言葉を最初から理解してくれる人は少ない。僕は極めて現実的な人間だけれども、夢は捨てたくない、理想は追い求めたいと考えている。そしてここで働く職員にも当然、夢を追いかけてもらいたいと思っている。しかし現実は...、生活に追いまくられている。仕事というものは、本当に難しいものだ...
No.0004 平成12年8月21日、昨日はボランティアの力の偉大さを実感したところだが、実を言うと僕は「ボランティア」という言葉に非常に神経質でコンプレックスを持っている。
 阪神大震災のボランティア、ナホトカ号の重油流出事故のボランティア、いろんなボランティアに感動させられた。このご時世では、医療機関や福祉施設でもボランティアの存在は非常に大きくなってきている。しかし災害や、今回の恐竜エキスポなどのイベントのボランティアと、一方、施設などで働くボランティアとは大きな違いがあると僕は考えている。前者は終わりのあるボランティア、後者は終わりのないボランティアというのが大きな違いだ。
 はっきり言うと、ボランティアというのは先が見えるからできるのだと思っている。阪神大震災のボランティアは神戸で何十年にもわたって毎日地震が起きて、ビルが倒壊したり火事になったりし続けることを想定はしていないだろうし、ナホトカ号の重油流出もいつか止まることが分かっているから油汲みができるのだと思う。もし、神戸で何十年も瓦礫の山を片づけ続けたり、越前海岸で何十年も油汲みをすることになるとしたら、どれだけの人がボランティアを持続できるだろうか?
 だから終わりのない介護のような業務は、ボランティアではない、というかボランティアであってはならない。介護のような業務は、ひとりの人間が長く携わることが要求される。ボランティアのように、やりたいと思ったときに始めて、続けられないと感じたときにやめる、というような勝手は許されない。そういった意味ではボランティアはいい加減だ。反面、ボランティアの力は凄いし認めざるを得ない。長くなるのでやめるが、僕が神経質で複雑だという意味がおわかりいただけるだろうか?ちなみにうちの施設では介護にボランティアを一切入れていないし、その予定はない(ボランティアを手軽に使うことだけは避けたいと思う)。
No.0003 平成12年8月20日、今日は久しぶりの休日当番だった。来るかなぁと思っていたら、やっぱり恐竜エキスポから来た。脱水症状。ただし今日は職員でなく来場者だった。会場は日陰が少なく、さらに、やたらと歩かされるようになっているので、病気になっても確かにおかしくない。うちの外来に通院されているお年寄りからも、同じような意見を聞く。職員の労働管理に問題がある上、会場の設計にも問題ありか?
 実は、夕方5時過ぎ当番が終わってから行って来たんだよね、恐竜エキスポ。悪いことばかり言うのも不公平なんで、良いこともひとつ。会場はゴミの整理だけは行き届いている。ディズニーランド並とまではいかないものの、タバコの吸い殻等の些細なゴミでさえ、見かけることはなかった。これは非常に評価できることだ(ただし、これはボランティアの力によるところが大きいということを付け加えておく)。
No.0002 平成12年8月19日、これで3人目の恐竜エキスポからの脱水、慢性疲労患者来院。いったいどうなってるんだろ、ここの労働管理は。何でも聞くところによると、ほとんどの職員が不眠不休、おまけに不食の状態で、発病予備軍はあと5-6人いるらしい。折しも、今日の新聞で明日は来場者40万人突破、で、救急車の出動回数も予想以下とのことらしいが...職員の健康管理がこれでは、事故が起きるのも時間の問題か?
No.0001 平成12年8月18日、決して後悔ばかりの毎日ではありませんが、院内院外公私問わず、気がついたこと、不平不満、そして後悔をここに書き綴りたいと思います。何ならこれに対してご意見もどうぞ。あるいは、余計なことを書いて、それを後悔することになるかもしれませんね...文字どおり後悔日誌になるのだろうか...



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